- 『私の東京地図』 佐多稲子著 ちくま文庫 990円
- 『ジョン・バーリコーン 酒と冒険の自伝的物語』 ジャック・ロンドン著 辻井栄滋訳 中公文庫 1056円
- 『みどりいせき』 大田ステファニー歓人(かんと)著 集英社文庫 704円
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経済や政治の中心地であることは、あまたの人々の希望や欲望の集積地でもあることを示す。(1)は、関東大震災や太平洋戦争に見舞われた作者による、変わりゆく東京を描いた名著。地誌学的見地からも、昔日の東京と対話するように記憶のうちにある自身と向き合った文学的観点からも、充実したものがある。
(2)は、副題からも明らかなように、酒にまつわる作者の行動遍歴を描いた自伝的小説。嗜好(しこう)品に過ぎない酒を擬人化した「ジョン・バーリコーン」という名からして異質であり、惹(ひ)かれる。酒が人と、そして人生と、密接に関わっている喩(たと)えと捉えられるだろう。人間のもつ哀愁と愛(いと)おしさが本書にはある。日常生活に倦(う)み、読書によってかりそめに酩酊(めいてい)し、冒険を求めている読者へ、特に薦めたい。
(3)は、二〇二三年にすばる文学賞を受賞し、翌年三島由紀夫賞を受賞した作者のデビュー作の待望の文庫化。饒舌(じょうぜつ)なまでの現代的な口語の語りは、字義的で、閉塞(へいそく)的な読みを促す、従前の小説とは一線を画している。特に、「ぼく」「僕」「ボク」と一人称の表記が揺れている点に、発話者の固定化されないプリミティブな感情が表出している。読者の想像力を喚起し、言語を解体し再構築する試みは、詩的空間と呼ぶのがふさわしい。
人間は読むことに何を求めているだろうか。都市を媒介として、記憶が記録となる営為か、あるいは日常生活とは隔絶した得難い体験か、あるいは言葉による挑戦と挑発か。春の爽快な空の下、本を携えて町に出よう。=朝日新聞2026年5月9日掲載