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「詩人茨木のり子の誕生」 感受性育んだ母との幸福な経験 朝日新聞書評から

評者: 梯久美子 / 朝⽇新聞掲載:2026年06月27日
詩人茨木のり子の誕生: 西尾の少女の物語 著者:熊谷誠人 出版社:風媒社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784833121330
発売⽇: 2026/03/25
サイズ: 13.5×19.3cm/312p

「詩人茨木のり子の誕生」 [著]熊谷誠人

 今年、生誕100年、没後20年を迎えた詩人・茨木のり子。関連書籍が次々と刊行される中、発見のつまった宝箱のような評伝が世に出た。
 茨木が詩を書き始めたのは24歳。本書はそこに至るまでの時期に絞り、驚くべき調査力と的確な作品の読み解きによって、少女時代の茨木の姿をあざやかに浮かびあがらせる。茨木の没後、作品の管理に携わり、全集の編纂(へんさん)などにも協力してきたおいの宮嵜治氏は〈穏やかに笑うティーンエイジャーののり子のポートレートがここに完成した〉という言葉を寄せている。
 茨木は、若い世代に向けた詩の入門書『詩のこころを読む』や、与謝野晶子や高村光太郎の評伝など、すぐれた散文の仕事も残している。だが自身の生い立ちやプライベートな事柄についてはあまり書き残しておらず、本書で初めて明らかにされたことは多い。中でも茨木の人生と作品を深く知るために重要と思われるのが、11歳で死別した母親への思いだ。
 母の死が心の傷になったことは、詩人の吉原幸子との対談でちらりと漏らしているだけで、詩として表現することはなかった。そこには父の後妻となった人への配慮もあったのではないだろうか。
 著者は茨木が書いたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本を発見する。出演した女優・山本安英の回想録にタイトルが出てくるが内容は不明だったこの作品は、母を亡くした小学生の男の子が心の中の電話で母と対話し、それを支えに生きる物語だった。そこには〈母を失ったのり子が、どんなふうにして自分の心の傷との折り合いをつけて日々を生きていったのかを読み解く鍵が隠されているように思います〉と著者は書く。
 現在の愛知県西尾市に住んでいた茨木は、宝塚歌劇を愛した母に連れられ、名古屋や東京で公演を観(み)ている。著者はその日付や演目、出演者までを特定する。そして当時の茨木の日記にある、東京からの帰路の列車で宝塚歌劇団の一行に遭遇しサインをもらったという喜びと興奮に満ちた記述を裏づけるのである。
 少女期、母とともに美しいものにふれた幸福な経験。それを明らかにすることは、その後の戦時下で彼女を精神的に支え、詩人としての感受性を育んだものを知る手がかりとなる。掘り起こされた伝記的事実が、茨木作品の深い読みへといざなうのだ。
 茨木のり子の研究を続けてきた著者は、彼女が育った愛知県で長く教職にある人。戦時中の学校生活など、時代背景についてもわかりやすく解説されている。若い読者にぜひ届いてほしい一冊だ。
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くまがい・まこと 1962年生まれ。愛知県立高の国語教諭や県史編さん室を経て、県立高の教頭や校長を歴任。現在は安城学園高校長。詩人茨木のり子の会会員。茨木の論文6本を「名古屋大学国語国文学」に発表。