アンソロジーの楽しみ 未知の作家や作品に会える小箱 岡崎武志
アンソロジーとはばらばらに存在する作家の作品や複数の作家による作品を、編みなおして一冊の本にすることを言う。未知の作家、作品に出合えるきっかけを作り、読書の知見が広がるのが利点だ。
日本はアンソロジーが好きな国ではないか。というのも丸谷才一『日本文学史早わかり』は、それまでの小説中心の文学史を、『万葉集』『古今集』『新古今集』など詞華集で読みなおすという大胆な試みであった。そういえば、幕の内弁当は一つの容器においしいものを詰め合わせた、一種のアンソロジーだ。
佐久間文子編『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇(たんぺん)集』(ちくま文庫・968円)をアンソロジーの傑作としてまず推したい。佐多は今年生誕122年。没して28年。やや忘れかけた作家だった。
しかし、ここに初期から晩年まで精選した短篇群を読むと、労働と地下活動、ともに戦った女たちを描いて、一級の作家だったとわかる。表題になっているデビュー作は、家が貧しく、13歳にして学校をやめ、過酷な労働に身を投じる少女(作者自身)を厳しく見つめている。電車賃を浮かすため歩いて通勤し、凍った弁当箱を火鉢で暖める。過酷を「キャラメル工場」というタイトルの糖衣でくるみ、何一つ見逃さない作家の目が随所に生きている。
最後、しゃがみこんで少女は泣くのだが、「水」という短篇もしゃがみこんで泣く少女の話だ。故郷の母死すの報に、上野駅まで来たが途方に暮れ泣く旅館の下働きの主人公。泣きながら、誰かが閉め忘れた水道の蛇口を無意識のうちに閉める。そこに彼女が置かれた環境、日常と哀切が集約されている。
時代は巡り、今また貧困と格差のことを思うと、佐多稲子は現代の作家だ。佐久間はそのことを作品集で知らせる。編集はきわめて批評的な行為だと改めて気づくのだ。
アンソロジーにはテーマ別という手がある。食、旅、動物、家族など無尽蔵。林哲夫編『喫茶店文学傑作選』(中公文庫・990円)は意表を突くセレクト。明治、大正、昭和それぞれの時代に、作家や芸術家が愛し、また集った喫茶店を舞台とする小説・エッセイ28編を集める。
夏目漱石『野分』に、ミルクホールでパンをかじり、牛乳を飲むシーンがある。あれ、そうだったかと読みなおしたい気持ちになるのだ。カフェ・プランタン(森茉莉)、モナミ(埴谷雄高)、ラドリオ(伊達得夫)、風月堂(山崎朋子)などになると、単なる飲食店というより応接室、文化の拠点として日本の喫茶店が機能していたと本書で気づかされる。
なかでも植草甚一「東京に喫茶店が二百軒しかなかったころ」はさすがに面白い。植草は喫茶店のマッチラベルの収集家で、軒数を割り出した。翻訳の原稿も喫茶店、となれば書斎代わりだ。よくぞ集めも集めたり。文化史的資料価値も高い一冊となった。
なるほどこういう手もあるのかと頰が緩むのは、『雨音を、聴きながら。 雨のアンソロジー』(だいわ文庫・880円)。編者はなく、著者代表として阿川佐和子の名がある。
梅雨の長雨はうっとうしく、出不精になる。ネガティブな印象の「雨」を、それなら雨の登場する作品を読もうという心意気がいい。エッセイ、小説のほか、マンガや短歌、詩も収録し楽しませる。良寛、泉鏡花、中原中也、内田百閒、幸田文、三島由紀夫、さくらももこ等々、こんなことがなければ一か所に招集されないメンバーだろう。
江國香織「旅先の雨」は、雨は苦手としながらも、例外として温泉旅行で露天風呂につかりながら眺める雨を称揚する。「雨音が好もしいBGMになる」と言われると、この一冊を持って特急列車に飛び乗りたくなる。=朝日新聞2026年7月4日掲載