AIと想像力 人間回復か脱人間かを超えて 植原亮
AIの発達と普及はあまりにも急激である。それを受けて、ビジネス活用から人類滅亡リスクまで、膨大な数の関連書籍の刊行が続いている。ここではその中から「想像力」をキーワードに、濃厚で個性的な3冊を選んでみたい。
シャノン・ヴァロー『AIという名の鏡』(西田洋平監訳、石垣賀子訳、東京化学同人・2420円)では、AIを鏡になぞらえて捉える。AIの出力はあくまでも既存のデータを土台とする統計上の優勢なパターンの反映にすぎない、というのがこの比喩の意味だ。そうして鏡に映し出された過去を未来に投影して将来の導きの手立てとすることに、著者は警鐘を鳴らす。気候変動への対応をはじめ、人類が現に直面している課題には従来にないアプローチが求められる。そこでわれわれは、道徳、知性、文化、政治の未来について能動的かつ果敢に想像力を発揮しなければならない。ところが、過去の鏡でしかないAIがそれを厳しく制約してしまい、新しく複雑な実践的課題に即興的に取り組む力を奪ってしまうという。
とはいえ本書のポイントは、技術否定にあるのではまったくない。むしろ著者は、技術と人間の相互形成からなる密接な関わりを前提としたうえで、敬意や愛情といった関係性の徳を重視する儒教とAIを主役に据えた近年のSFに注目しながらこう主張する。効率よりも寛容を志向する想像力の拡張を通じて、われわれはAIを人間らしい未来の構想のために使うことができるようになる、と。このバランス感覚が貴重である。
かたや、レフ・マノヴィッチ、エマニュエーレ・アリエッリ『人工美学』(久保田晃弘監修、高崎拓哉訳、BNN・3960円)では、美という領域でAIが人間に「反事実的想像力」という新たな能力とそれにもとづく鑑賞方法を授ける可能性が示唆されている。以前話題になったAIによるレンブラントの「新作」は、画像の学習を通じてAIが抽出したレンブラント作品の本質、つまりイデアの個別的な実体化である(人工プラトン主義)。これにより現実に存在する作品の目の前の姿だけでなく、実現したかもしれない無数の姿もその背後に思い描きながら鑑賞できるようになるというのだ。
そして本書は、AIがアート制作の場にさまざまな形で入り込むことに関しても、「人間固有の芸術的創造性の危機」といったありがちな方向とは異なるラディカルな視点を示している。もとより芸術は道具と切り離せないし、現代アートでは西洋近代的な創造主体や人間中心主義の解体の試みがずっと続けられてきた。AIとの共同制作がこの流れを促進していけば、作者性の分散的・集合的な性格がさらに加速するか、あるいは作者の意図やそもそも誰が作者なのかを気にすること自体が終わるかもしれない。刺激的な議論がとても楽しい。
だが、こうした人間回復か脱人間性かといういかにも西洋的な問題意識から離れた視点も必要だ。三宅陽一郎『AIはニュータイプの夢を見るか』(青土社・3080円)は、日本のゲーム開発の現場でAIを実践的に研究・活用してきた著者ならではの関心が色濃く表れていて興味深い。SFの想像力がAI研究にどんな影響を与えてきたかを跡づける論考が導入として置かれ、AIがアニメにどう描かれ、物語をいかに変化させてきたかの検討で締めくくられる。研究開発の現状や展望とともに解説される「ガンダム」や「攻殻機動隊」をはじめとするおびただしいコンテンツ群に度肝を抜かれつつ、AIによる現実感の変容や物語の行方について論じる中で仏教まで参照する自在な動きが心地よい。AIがますます溶け込んでゆく日本的文脈からは、今後どんな想像力が湧き上がってくるだろうか。=朝日新聞2026年8月29日掲載