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藤巻亮太の旅是好日 ひとり旅に、サン=テグジュペリを想う

文・写真:藤巻亮太

 18歳の僕はとりたての免許と実家の車で山梨から親戚の住む大阪まで走った。そのドライブは今でも忘れられない初めてのひとり旅。窓から入り込む春の風、その匂い、午後の光を受ける桜並木、それらが心のキャンバスに瑞々しい絵を次々描いていった。 

 さて、今回はこの旅ではなく2度目のひとり旅の話をしよう。 

 その後、旅といえばバンドの「TOUR」になっていたので、ひとり旅とは久しく縁がなかった。そんな20代の後半、ふと海外へ一人で行ってみようと思った。どこか刺激を求めていたのかもしれない。

パリーロンドンを結ぶ列車の車窓から
パリーロンドンを結ぶ列車の車窓から

 弾丸だったが初めて行くパリ、ロンドン、エディンバラは煌びやかで重厚な街だった。しかし肌寒い季節に肩を寄せ合う恋人たち、楽しそうに笑みを交わす親子。そんな光景を見ていると、町並みに自分だけ溶け込めない気がして、僕はすぐにホームシックにかかった。

 ひとり旅はとっても寂しいものなのだ。

 勇気があれば人に話しかけられるのに、挨拶程度の英語力ではモジモジするばかり。だから何を感じても、思いついても、楽しくても、美味しくても、怖くても、不安でも、自分でその感情と折り合いをつけるしかない。 

 僕は歩けるだけ歩いて、行ける限りの観光を詰め込んで美術館や観光地を巡っていた。そして気づくとオルセー美術館にいた。

パリにて
パリにて

 そこで、僕はある絵に釘付けになった。それはゴッホの自画像だった。

 険しく眼前を見つめる目、神経質な佇まい、血色の悪い肌、しかし僕が惹きつけられたのは彼の周りに恐ろしい密度でうねっている青い空気だった。そのうねりは彼の心そのもののように思えた。その瞬間、全身が震えた。

 ゴッホの葛藤はゴッホのもの。しかし彼が表現した作品から何かを感じる自由が誰にもある。彼の表現した深遠なる美を、当時、涙が出るほどに自分が感じたとするならば、それはひとり旅をしていたからかもしれない。 

 そう、きっと孤独感は人の感性を鋭く研ぐのだ。 

エディンバラにて
エディンバラにて

 絵との対峙には逃げ場がなく、無意識に自分を投影していた。その瞬間、まるで僕が絵で、絵が僕のような、主客未分の状態となった。優れた芸術作品はあらゆる精神的な壁を超越するのだと実感した。

 そしてその経験が何かに役立つとか、その後1曲できましたとか、そんな事はどうでもいいのである。いつもより深い心の場所に何かが触れてくれた。それだけで人間は静かに変わるのだから。 

 旅だけではなく、僕らは日常のどこかで、なぜか、どのようにか孤独を感じている存在かも知れない。そんな時は放っておくべきか、克服するべきか、抱きしめるべきか、どう関わり合っていくものなのだろう。太陽に照らされた僕の影は、僕のものなのだろうか。