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「言葉の国イランと私」書評 慎重に選んで使う 必須の教養

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月04日
言葉の国イランと私 世界一お喋り上手な人たち 著者:岡田恵美子 出版社:平凡社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784582838008
発売⽇: 2019/03/25
サイズ: 19cm/260p

言葉の国イランと私 世界一お喋り上手な人たち [著]岡田恵美子

 世界帝国を築いた民族はさほど多くはない。ペルシアはその一つであるが何度か旅をしてすっかり魅せられてしまった。歴史や文化の豊穣さはもちろんだが人々が実に有能でチャーミングなのである。イラン革命後アメリカとの関係が緊張して制裁を受けているので日本でもあまり人口に膾炙しないが、この国の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいとずっと思っていた。本書はペルシア文学の泰斗の手による格好のエッセー集である。
 半世紀以上前、ペルシア語に魅せられた好奇心の強い女性がイランの国王に手紙を書いて留学が認められた。彼女はテヘラン大学で日本人初の文学博士号を取得する。大学での講義の様子はまるで陶酔境だ。多彩なクラスメートや留学生寮の世話係ゴラおじさん、イランでの生活が伸びやかに描かれる。帰国後、東京外国語大学で助教授に就任した時、著者は学長から「子供が出来たら辞めていただきますよ」と告げられる。それが40年ほど前の日本だったのだ。テヘランでは女性蔑視の雰囲気などみじんもなかったというのに。
 その他のエピソードも興味深い。現在のイランで、うっかり軍の施設にカメラを向け、現地の青年の機知に救われる。日本に現存する最古のペルシア語の文書は1217年(北条義時の時代)に渡来したペルシア語の詩句で、ペルシア民族叙事詩『王書』などの1節だという。イランの人々はお喋り上手だが、おのずと犯してはならないルールがある。誰もが参加できる話題、その場にいない人の批判はしない、慎重に言葉を選ぶこと。必須の教養は言葉遣いなのだ。「心は憎しみを生まない、憎しみを生むのはいつも言葉だ」「人は舌の下に隠れている」「心から心へは道がある」。紹介されているペルシアの箴言の数々も興味深い。日本とは異なる文化を持つ人々と心を?ぐとはこういうことなのだ。『王書』を再読したくなった。
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 おかだ・えみこ 1932年生まれ。日本イラン文化交流協会会長。著書に『イラン人の心』『ペルシアの神話』など。