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田辺聖子 時代や人みつめた辛口万華鏡 文芸評論家・斎藤美奈子さん

6月6日に亡くなった作家の田辺聖子さん。誰もが覚えのある日常の哀歓を「字の芸術」に昇華した

 2007年に開館した田辺聖子文学館のデータベースは「文学万華鏡」。17年に出版された『田辺聖子文学事典』(和泉書院・3780円)の副題は「ゆめいろ万華鏡」。膨大な量の作品を書き続けた田辺聖子自身も万華鏡のような作家だった。
 とはいえ、多くの(特に女性の)ファンを獲得した半面、晩年に至る前の田辺聖子が文壇で正当な評価を受けてきたとはいいがたい。恋愛小説の名手という評判が「オンナコドモ好みの甘ったるい小説」という誤解を生んだのだとしたら、あまりにもったいない。オンナコドモは元来、甘ったるくなんかはないし、田辺聖子が書く恋愛も甘さの対極にあるからだ。
 実際、ごく初期の出世作「虹」(1956年/『うたかた』講談社文庫所収・品切れ、電子版あり)は、労働争議にも恋にも破れ、会社を辞めざるを得なくなった足の悪い女の子の苦さが際立つ物語。64年の芥川賞受賞作『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』(角川文庫・品切れ、電子版あり)は、30代後半を迎えた女性放送作家と共産党員の男との行き場のない恋愛を、年下の青年の視点から冷徹に描いた激辛に近い小説だった。恋愛初期の甘い気分にさえも塩や唐辛子をふって突き放す厳しさが、そこには常に流れている。フリーのデザイナー玉木乃里子を主役にした「乃里子三部作」はその代表格といえるだろう。

縛られない女性

 『言い寄る』(74年)の乃里子は31歳。複数の男と恋愛ごっこを楽しむ気ままな独身女性だが、その乃里子が本気の恋をした。しかし本気の相手の五郎にだけは言い寄れない。結局彼女は失恋し、恋愛ごっこの相手だった剛と結婚。続編の『私的生活』(76年/講談社文庫・713円)で描かれるのは、富豪の息子である剛との、3年で破局した結婚生活の顚末(てんまつ)である。続々編の『苺(いちご)をつぶしながら』(82年/同・756円)で再び独身に戻った35歳の乃里子は、何ものにも縛られない自由を謳歌(おうか)しながら、自分は刑期を終えて出所した身なのだと感じる。ぜひとも3冊セットで読んでほしい。30~40年前の小説とは思えぬ新しさに驚くはずだ。

卓越した批評眼

 さて、田辺聖子といえば古典案内である。そっち方面では『文車日記』(74年)をおすすめしたい。天智天皇と天武天皇を両天秤(てんびん)にかけた額田女王を「みずからの意志で男を愛したと声たかくいえる、最初の女人」に認定し、吉田兼好は「恋のあはれ」の評論はできても恋愛経験には乏しかったのではないかと喝破し、『平家物語』の中では最後の合戦の場でも冗談をいえる平知盛が好きだと告白する。田辺聖子の観察眼にかかれば、古典の登場人物がみな職場や親戚や近所によくいる隣人に思えてくる。
 という意味では、数々の評伝も卓越した批評眼と人間観察の賜(たまもの)だった。評伝系の白眉(はくび)は『ゆめはるか吉屋信子』(99年)だろう。女学生時代から吉屋信子の熱烈なファンだったという田辺聖子はあらん限りの思いをこめて信子の生涯を追い、『花物語』ほか多くの作品を批評し引用する。その結果が上下2巻、全1300ページという長さに結実したのだったが、その根底には少女小説作家ゆえに信子が理解できなかった文壇と小林秀雄ら男性批評家への静かな義憤が渦巻いている。
 自伝的小説『私の大阪八景』(65年/角川文庫・821円)や『欲しがりません勝つまでは』(77年/ポプラ文庫・626円)では戦争の時代を描き、『姥(うば)ざかり』(81年/新潮文庫・594円)シリーズでは70代女性を主役にするなど、あらゆる時代、あらゆる世代の人々に眼差(まなざ)しを注いだ田辺聖子。あなたにフィットする一冊が必ず見つかるはずである。=朝日新聞2019年7月6日掲載