大澤真幸が読む
ドゥルーズは20世紀フランスの哲学者。「ポスト構造主義」の代表者だ。本書は34の「章(セリー)」から成り、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や古代哲学のストア派を解釈しながら、次々と話題を転じていく。本書のポイントはどこにあるのか。
西洋哲学の原点にあるプラトンの二元論をひっくり返そうとしているのだ。プラトンによると、真に実在するのは永遠のイデアであり、私たちが見たり感じたりしている現実は、イデアのイミテーションである。イデアとは、ものごとの本質、それが何であるかという「意味」である。例えば、これが机であるのは、「机」のイデアを分有しているからだ。
しかしドゥルーズは、意味(=イデア)は実際(アクチュアル)に実在している物がもたらす効果であるとする。と言っても「?」と思うだけだろう。本書の論述を離れて思い切った解説を試みてみよう。
説明に使いうる最適な素材はピカソの絵である。中でも――あまり知られていない作品だが――、牡牛(おうし)を描いた11枚の版画がよい。この版画には順序があって、最初の方の牛は写実的に描かれている。だんだんデフォルメされていき、最後の1枚には、針金細工のような線が描かれているだけだ。この針金細工は、現実の牡牛には全然似ていない。それでも「これぞ牡牛!」とわかる。ここに牡牛のイデア=意味が抽出されているのだ。
牡牛を前にしたとき、私たちが実際に見ている物は一枚目の写実的な牡牛のような姿である。それを「牡牛」と把握できるのは、牡牛のリアルな姿を通じて、牡牛の牡牛たる所以(ゆえん)(11枚目の版画のようなもの)が、つまり牡牛のイデア=意味が、潜在的(ヴァーチャル)な次元にたち現れているからだ。「意味」が現実の物の効果としてある、とはこういうことだ。
つまり意味は人が現に経験している物に伴う影のようなものだ。故に無に等しい…とドゥルーズは言いたいわけではない。逆だ。私たちはその影に人生の全てを捧げている。=朝日新聞2019年7月20日掲載