8月26日までロンドンの大英博物館で開催されていた話題の企画展「The Citi exhibition Manga」を観(み)た。手塚治虫や竹宮惠子、井上雄彦やこうの史代ら約50人の日本の作家によるマンガ原稿=原画が一堂に集められただけでなく、近代以前の史料とともにマンガの歴史的な連続性が考察され、現代におけるマンガ産業の構造や表現的特徴も分析されていた。日本のマンガ文化の歴史と現在を丸ごと紹介しようという、研究機関としてのミュージアムの努力がはっきり見て取れる意欲的な展示だった。
歴史や文化を扱う大英博物館でこうした企画が可能だったのは、日本のマンガが、イギリスの若者たちに急速に受け入れられつつある「新しい異文化」のように見えたからではないか。同館で事前に、今後の企画展についてのアンケートを取ったところ、マンガは、エジプトやストーンヘンジといったテーマをおさえて一番人気だったそうだが、実際、来場者は約18万人で、企画展史上最多だと言う。
評価は賛否両論あり、イギリスのガーディアン紙に代表される、〈ミュージアム〉という場にそもそもマンガはふさわしくない、という批判も少なくなかった。同紙に掲載された展評によると、大英博物館というのは「目からウロコを落とすために行く場所だが、そうさせてくれるのは、芸術的で歴史的な驚きであって、どこでもいつでも買えるようなもの(=マンガ)ではない」。そして、「この展覧会は、偉大なるミュージアムの目的の悲喜劇的な放棄である」と断ずるのである。
こうした批判はしかし、現代において、妥当なのだろうか? マンガとミュージアムの関係について、当のミュージアム関係者たちに考えてもらいたい。そうした意図もあり、今月初め、数日間にわたって京都で開催された「国際博物館会議(ICOM〈アイコム〉)京都大会」において、「〈マンガ展〉の可能性と不可能性 英韓日の比較から」というパネルセッションを企画した。
筆者がファシリテーターを務め、大英博の「Manga」展を企画したニコル・クーリジ・ルマニエール氏と、以前この連載でも紹介した、韓国・釜山グローバルウェブトゥーンセンターの学芸員でマンガ家でもあるナム・ジョンフン氏をゲストに迎えた。600人近いオーディエンスが集まり、テーマへの関心の高さを感じさせた。
現在のマンガ展は原画を紹介するものがほとんどだが、ルマニエール氏は、「Manga」展が原画の生の筆致の豊かさにいかにこだわったかを述べた。それは、ガーディアン紙による批判への答えでもあったろう。
一方、そもそも原稿がデータとして作成されることの多いデジタルコミックスを扱うナム氏の経験や悩みは、原画の価値自体を相対化する。マンガ展において原画が大切なのは、それが制作過程そのものだから。大切なのは過程を見せることで、原画をありがたがることではない、という氏の話は、額装したマンガ原画を並べたらマンガ展のできあがりと考えがちな、少なくない日本のマンガ展関係者への批判にもなっていた。
パネルセッションでは、「アナログとデジタル」だけでなく、「ポピュラー文化とファインアート」、「文化と産業」といった、一般の博物館・美術館にとっても今日的なテーマが浮き彫りに。ICOMの今大会では、同組織による「ミュージアム」の定義の大幅改正が話題になったが、マンガというアクチュアルな分野は、新しい「ミュージアム」を考える上でも鋭い問いを投げかける可能性を持っていることを示せたのではないだろうか。=朝日新聞2019年9月24日掲載