この本が直木賞を受賞したと知り、題の「妹背山婦女庭訓」に興味を引かれました。文楽と歌舞伎で人気の演目です。大坂弁の文体がなじみやすく、2晩で読破しました。浄瑠璃作者の近松半二が主人公で、ライバルに歌舞伎作者の並木正三も登場します。本では、半二が書いた「妹背山婦女庭訓」に登場する酒屋の娘、お三輪が物語の世界から飛び出し、半二や後世の人に語りかける場面があります。語りの部分は字体を変えていて異次元のような雰囲気があり、渦の表紙絵も素敵。ビジュアル的にも楽しめる本ですね。
私は歌舞伎で、お三輪の恋敵の橘(たちばな)姫をつとめたことがあります。橘姫は高貴で芯が強く、お三輪は一途で純真。一途なあまりに嫉妬に狂った表情を見せてしまう。切なさが際立つのです。お三輪もぜひ、演じてみたいですね。
「奥州安達原(あだちがはら)」や「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」などの名作も残した半二ですが、創作の生みの苦しみが描かれています。私も今夏、子ども向きの「四勇士」という新作歌舞伎の脚本と演出を手掛けました。書くことの難しさやつらさなど、生みの苦しみを味わいました。
この本では、作者と演じ手、太夫と人形遣い、お客など様々な関係が絡んでいきます。題の「渦」はこうした半二を取り巻く人間関係や、発想にあふれる脳内を表しているのではないでしょうか。人生を人形浄瑠璃に捧げ、全力で命をかけて作品を書く半二の強さが表れているところが魅力ですね。
物語の舞台は、芝居小屋が並ぶにぎやかな江戸時代の大坂の道頓堀。今も大阪松竹座があり、活気にあふれ、お客さんの反応も率直です。道頓堀の雰囲気も本で味わってほしいです。(聞き手・写真 山根由起子)=朝日新聞2019年10月16日掲載