「なくなる国を見に行こう」
会社の先輩に誘われ、東ドイツのドレスデンに行ったのは一九九〇年。その提案に私は飛びついた。初めての海外旅行だった。東西ドイツが統合されるのだ。
ここは一九四五年の連合軍による大規模な爆撃にあった都市であり、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」という作品の舞台でもある。ヴォネガットはそこの捕虜収容所で自軍の爆撃にあったのだ。私は大学時代にこの作品に出会い、いつか行ってみたいと思っていた。
SFでありスラップスティックであり、自伝的な戦争文学であり、そして何よりも私にとってはヒューマンドラマである。世界一心やさしい文学作品。
おどけてふざけているのに深い真剣な底意を潜ませている。それがマンガのようでもある。
夥(おびただ)しい数の死のエピソードが描かれ、その度に「そういうものだ」という諦観(ていかん)を語る。それが読む者を麻痺(まひ)させる。死に麻痺した後、ダメ押しのように悲しい馬の描写、そして「プーティーウィッ?」という鳥の鳴き声で物語が終わる。かつてない読後感だった。
途方もなく巨大な災厄の海に浮かぶのどかな小さな島に、ふわりとたどり着いたような安堵(あんど)感があった。
実際にドレスデンに立ち、鳥の鳴き声を聞けばまたあの不思議な感覚を呼び覚ますことができるのでは、と期待した。
鳥の正体はわからなかった。ドレスデンはただ優美な古都市だった。「そういうものだ」と言いたくなった。=朝日新聞2020年4月15日掲載