大好物は何かと訊(き)かれたら、即座に答える。
天麩羅(てんぷら)。もとはポルトガル語だそうで、「天麩羅」は苦肉のアテ字と思えるが、さりとて「てんぷら」「テンプラ」では申しわけない気がするので、以下あえて「天ぷら」と書く。要するに私は、表記についてかくも悩むほど天ぷらを愛しているのである。
東京に生まれ育った私は、天ぷらを始めとして「鮨(すし)」「蕎麦(そば)」「鰻(うなぎ)」等(など)の、いわゆる江戸前ファストフードを好む。毎日それらの食い回しでも一向に構わぬほどである。その中でもとりわけ天ぷらが好き、と言うほうが正しい。どれくらい好きかと言えば、毎日天ぷらでも一向に構わぬ。何ならきょうからでもよい。
どうしてこんなに愛しちまったんだろうと悩んだ末、幼時の食生活に思い至った。私の生家は商売をしていたので、家族のほかに従業員や使用人等、大勢が朝晩の食卓を囲んだ。そうした事情ではおかずに手をかけられず、いきおい安くて早くておいしい天ぷらが、三日に一度は供されたのであった。
ただし商家の賄い飯であるから、魚介類などの贅沢(ぜいたく)品はない。大根おろしだの天つゆだのと手間もかけられぬ。つまり野菜ばかりの精進揚げを生醬油(きじょうゆ)で食うのである。
どうやら幼いころの食生活は一生を支配するらしい。よって今日でもわが家の作法は精進揚げを基本とし、塩か生醬油で食す。仏は喜ぶ。
三日も間があくと飢餓感を覚える。天ぷら飢饉(ききん)である。そうした場合は応急処置として買い食いをするほかはないが、スーパーのお惣菜(そうざい)コーナーにはなぜか満足できる天ぷらがなく、蕎麦屋の暖簾(のれん)をくぐって天ぷら蕎麦もしくは天丼を食う。緊急であれば立ち食い蕎麦でもよい。すなわち天ぷらは、揚げ立てでなければならぬのである。
ところで、今ふと思い出したのだが、かつてこんなことがあった。
若い時分にレストランでアルバイトをしていたころ、夕方の賄い飯にきまって天ぷらが出た。しかし、その天ぷらは天ぷらではなかった。関西出身のコックが天ぷらと称するのは、いわゆる薩摩(さつま)揚げだったのである。今はどうか知らぬが、かれこれ五十年前のその当時、関西で天ぷらと言えば一般的に薩摩揚げをさしたらしい。
べつに薩摩揚げが嫌いなわけではない。いまだ薩摩に恨みがあるわけでもない。ただ、東京における薩摩揚げのキャラクターはあくまでおでんの具であって、毎日の賄い飯のおかずにするほど偉くはないのである。関西から来たコックは、よほど「天ぷら」を愛していたのであろう。ただし、人ちがいであった。
ああ、天ぷら。君を思えば気も漫(そぞ)ろ。=朝日新聞2021年1月23日掲載