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パートナーとは 非対称を踏み越えた先に 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評22年4月〉

青木野枝 空の水

 バイデン米大統領が近く初来日する。ロシアのウクライナ侵略も念頭に、日米豪印(クアッド)などを通じて日米のパートナーシップの深化を推進するという。こういう際に使われるパートナー、友人とはどういう意味だろう。私はアメリカ文学を愛する者だが、一方、米国式正義のイニシアチブには慎重になる所がある。

 日米の非対称関係を書いてきた阿部和重の諜報(ちょうほう)小説『オーガ(ニ)ズム』(文芸春秋)にこんなくだりがあった。米国CIAオフィサーが「わたしと阿部さんは、この一カ月ほどでトモダチになれたと思っていました」と言うと、主人公は「友だちっていう割には、信用できないところが多すぎだわあんた。〈中略〉そもそも友だちってもっと対等な関係のはずですよ」と切り返すのだ。

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 島田雅彦の大作『パンとサーカス』(講談社)も日米のグロテスクな主従関係を描く、謀略スリラーの貌(かお)をした極太の倫理小説と言える。斜陽暴力団の2代目、彼の異母妹の桜田マリア(「聖なる/マグダラのマリア」を思わせる)、日本人CIAエージェント、ホームレス詩人らが、世直しのために米中と日本政府を向こうに回して大サーカスを打つ。

 テーマの一つは、罪と罰、堕落と贖(あがな)いである。まさにドストエフスキーの『罪と罰』が強く想起されてきたが、特にそれを意識したのは、「古い法を乗り越え」「一線を越え」という言い回しに幾度か出会った時だ。「おれは一刻もはやく踏み越えたかった……おれは人を殺したんじゃない」(亀山郁夫訳)というあのラスコーリニコフの台詞(せりふ)が響いてきた(『罪と罰』原題には「踏み越える」という語源の語が使われている)。

 『パンとサーカス』で娼婦(しょうふ)ソーニャのような役割をもつのが、ユロージヴァヤ(聖愚者)の特質を帯びるマリアだ。聖女にして極道の血は濃く、悪事を教唆する存在にもなっていく。とはいえ、悪事とは一体なにか? 人道と外道、正義と不義、聖戦とテロはしばしば入れ替わる。

 もう一つのテーマは服従と変革だ。大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りが序盤で引かれ、米国に「隷属」する日本の政治構造が批判される。『罪と罰』で論じられた二階層論――凡人は服従を使命とし、ナポレオンのような非凡人は法を踏み越えて世界を動かす――を時おり彷彿(ほうふつ)させられ戦慄(せんりつ)した。

 同じくテロと政権陰謀論を扱ったトマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』にはとぼけた味があったが、本書の発する問いはまっすぐで、アツい。巻をおく能(あた)わず!
 高瀬隼子(じゅんこ)『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)は、“守られる弱者”への不公平感と憎しみを、食の生理的感覚を通して炙(あぶ)りだした秀作だ。ハラスメントで前職場を辞めた心身共に脆弱(ぜいじゃく)な女性芦川は、頭痛がすれば早退、ミスは他の社員が謝りにいく。彼女の補助に回りがちな女性社員と、男性社員の二視点から語られる。

 芦川への敬意が切れると、男性社員の中で彼女の弱さに対する歪(ゆが)んだ性的欲求が表面化する。「彼女の弱いところにばかりに目がいくようになった後の方が、想像の中の彼女は色気を放った。〈中略〉彼女が泣けば泣くほどよかった」と。じきに悪意が解き放たれるが、その憎しみは寧(むし)ろ自愛の欠如の発露であるように思えた。甘く、もろい手作り菓子を握り潰すことで弱者への攻撃欲を逸(そ)らしているのかと思うと、ぞっとする。

 ここに書かれている怒りはいま世の中を分断しているものと同質ではないか。米国で移民や有色人種へのヘイトが高まり、日本で少数者、障害者などに対する攻撃が起きているのも、守られる弱者への屈折した憤りが下地にある。

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 最近は創作、演技、翻訳などにおいて「当事者による表現」が重んじられている。特にマイノリティーの表象にはその属性の者が当たるべきという観点から、オランダで白人訳者が米国の黒人女性詩人の翻訳には不適切と非難され、議論を呼んだりした。年森瑛(あきら)「N/A」(文学界5月号)を読むと、この当事者という概念の他者化の側面に改めて気づかされる。「かけがえのない他人同士」に憧れる女子高生の主人公は、食事量を減らせば「拒食症」、女性と付き合えば「LGBTの人」、SNSでは「パートナーさん」と呼ばれる。自分は何の当事者でもないという思い。終盤、彼女にとって「何者でもない人」の善意が不意に現れる。そこに光が見えた。これが他愛(たあい)か。=朝日新聞2022年4月27日掲載