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【この人を読む㊦】中野好夫 専門を超え、学び続けた沖縄 吉田裕

沖縄の非軍事化を求める声明を発表する中野好夫(中央)、大江健三郎(右隣)ら。右手前は坂本義和、右奥は都留重人=1971年

 現在、中野好夫(1903~85)という名をどれほどの人が覚えているだろう? 『自負と偏見』『月と六ペンス』『闇の奥』などの小説の翻訳者と言えば、思い当たるだろうか。

 中野は大学で英米文学を教えつつ、雑誌に評論を書き続けた。戦後には日米安保や天皇制を批判する論考を発表する。作家の堀田善衛(よしえ)や劇作家の木下順二らと共に砂川闘争などの反基地運動に参加し、反核運動を含む社会運動の現場に身を置いてきた。

 中野は1954年、沖縄の学生から論集『祖国なき沖縄』(日月社)の序文執筆を求められたことをきっかけに、沖縄をめぐる政治活動に関わる。60年代末、復帰によって米軍基地の大幅な縮小が望めないことが明らかになっても、「本土」と沖縄の革新勢力のつなぎ役を引き受け、復帰への道を肯定した。72年の施政権返還後、沖縄について語ることをやめるが、金武(きん)湾CTS(石油備蓄基地)建設反対闘争の現場には足を運んだ。岡村俊明中野好夫論』は、中野の活動の原点が戦地に学生を送り、軍国主義に協力したことへの罪責感にあったと示す。

交渉の英文を解読

 中野と沖縄の関係を振り返ると、何を書いたかよりも、どのような行動をとったかという側面から語られることが多い。

 沖縄に関する情報が手に入りにくかった頃、歴史学者の新崎盛暉(もりてる)と共に「沖縄資料センター」を開設し運営を続けた(現在は法政大学沖縄文化研究所に移管)。新崎盛暉私の沖縄現代史』では、センター開設や本の共同執筆、復帰をめぐる立場の相違について、中野と新崎との関係が述べられる。後に批評家の岡本恵徳(けいとく)は、中野には国家を問う視点が不在だったと指摘した。

 だが、自身の専門に安住することなく、沖縄から学び続け行動する中野の姿勢は、今も見習うべきところが多い。また、日米政府が交わした沖縄の施政権返還に関わる文言を英文講読さながらに読み解き、その欺瞞(ぎまん)を読者にわかりやすく提示することは誰もができることではない。現在、外国語教育や外国文学研究に携わる(私のような)者が、同じことをできるだろうか? 英米文学の古典的作品を数多く翻訳紹介してきた中野による時局的論考は、中野好夫『沖縄と私』で触れることができる。

 中野の仕事から何を継承すべきか。沖縄戦に学び続けることではないか。なぜ沖縄の人びとは軍事基地の建設に反対するのか、「本土」の人間はどのように考え、行動すべきか。

何を継承するのか

 屋嘉比収(やかびおさむ)沖縄戦、米軍占領史を学びなおす 記憶をいかに継承するか』(世織書房・4180円)は、沖縄戦を直接に知らない世代が、いかに当事者からの体験を継承し当事者性を獲得しうるかを問う。

 沖縄文学は「非体験者が知る」ことの難しさと可能性に取り組み、感情と思考の橋渡しをしてきた。岡本恵徳・高橋敏夫・本浜秀彦編新装版 沖縄文学選 日本文学のエッジからの問い』(勉誠出版・2860円)は目取真俊(めどるましゅん)「水滴」、知念正真(せいしん)「人類館」、大城立裕「カクテル・パーティー」など重要な作品を収める。

 沖縄は近代以前より世界に開かれてきたが、琉球処分以後は帝国日本に支配され、アジア太平洋地域の支配も担った。米軍占領下では朝鮮戦争やベトナム戦争での加害を強いられてきた。沖縄の人びとは日米沖の関係を批判的に思考するのみならず、文学や歴史、社会運動を通じ、アジアを含む世界に自らを開いてきた。私たちも学び続けることができるだろうか。=朝日新聞2023年8月26日掲載