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前川ほまれさんの読んできた本たち 角田光代さんの作品は、本当に小説の面白さを教えてくれた

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「海辺の街のサッカー少年」

――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。

前川:いちばん古い記憶というと絵本です。自分は東北出身で、やはり宮沢賢治にゆかりがあるので、家にも結構宮沢賢治の絵本がありました。『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』などがあるなかで、特に『注文の多い料理店』が好きでよく読んでいた記憶があります。

――『注文の多い料理店』って、最後ちょっと怖いですよね。

前川:そうなんですよね。自分は今でも結構ホラーが好きなんです。

――東北のどちらのご出身でしょうか。

前川:宮城県の東松島というところです。仙台よりも石巻に近い、どちらかというと田舎の海沿いの街です。

――わりと家に本があるおうちだったんですか。

前川:母が漫画も含めてかなり本を読んでいて、自分も幼少期から絵本はよく買ってもらっていました。小学生くらいの頃は小説よりも漫画をよく読んでいましたが、那須正幹さんの『ズッコケ三人組』シリーズにははまって、誕生日の時などに買ってもらっていました。

 漫画は藤子不二雄Ⓐさんの『怪物くん』などを古本屋さんを回って買っていました。母がよく「ジャンプ」を買っていたので、『SLAM DUNK』とか『ドラゴンボール』なども読みましたね。それと、地元の少年団みたいなところに入ってサッカーをしていたので、『キャプテン翼』などのサッカー漫画もよく読んでいました。

――ごきょうだいと本の貸し借りなどはされましたか。

前川:ふたつ下の弟がいるんですが、自分とはちょっとタイプが違って。弟はどちらかというとゲームが好きなんですが、自分はゲームを一切せずに本や漫画を読んでいたんです。

 ゲームは今でもちょっと苦手なんですよね。たぶん、操作がうまくできなくて。周りの友達も、ゲームの話よりもサッカーの話ばかりする子が多かったです。

――小学生時代、学校の図書室は利用していましたか。

前川:先ほど言った『ズッコケ三人組』シリーズや、『もしかしたら名探偵』などの「あなたも名探偵」シリーズなどの児童書を借りていました。

 それと、動物が好きだったこともあって、赤川次郎先生の『三毛猫ホームズ』シリーズは小学校高学年の頃にめちゃくちゃはまりました。

――シリーズものが多いですね。

前川:あまりこだわってはいなかったんですけれど、シリーズだと本棚にいっぱい並んでいるので、そこから面白そうなタイトルを抜き出す習慣がありました。

 あとは、怪談ものやお化けが出てくる本もよく借りていました。

――怪談ものというと、民話系とか都市伝説系とかありますが、どういうものが好きだったのですか。

前川:ラフカディオ・ハーン、日本の名前でいうと小泉八雲の『耳なし芳一』とか。怖いなりにすごく好きで、そういう物語を読んでいました。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

前川:好きでも嫌いでもなかったんですが、得意なほうだったとは思います。教科書に掲載されている谷川俊太郎先生の詩などを先読みしていました。教科書に載っていたものでは俵万智さんの『サラダ記念日』も記憶に残っています。

――その頃、将来何かになりたいと思っていましたか。

前川:当時は結構本気でサッカー選手になりたいと思っていたかもしれません。小学生の頃にJリーグが始まって、カズのようなスター選手がいて、サッカーが熱くなっていく時期ではあったんですよね。自分はそんなに上手くないんですけれど、唯一、本当に夢中になっていたものだったので。だから読書もサッカーの合間に、ゲームはできないし家に本がいっぱいあるから読むか、という感じでした。自分で何か書きたいとか創作したいとは思ってもいなかったです。

――本の他に、アニメや映画など楽しんだエンタメはありましたか。

前川:自分が小学生の頃は『ドラゴンボール』が一世を風靡していたので、そのアニメ映画を観に行きました。近所に公民館があって、そこで毎年夏休みなどに『ドラゴンボール』や『SLAM DUNK』のアニメ映画を上映していたんです。うちは両親が共働きだったので、祖母と弟と一緒に観に行っていたことはすごく憶えています。

――海沿いの街に住んでいたとのことですが、海で遊んだりはしましたか。

前川:自転車で10分も走れば海だったんですけれど、観光地のような砂浜の海ではなくて、テトラポットがあって、漁船が泊まっているような海だったんです。なのであまり海水浴をした記憶はないです。高校生時代に防波堤の上から釣りをしたりはしていました。

「角田光代さん作品との出合い」

――中学校は地元の学校に進んで、サッカー部に入って...?

前川:そうです。読書に大きな変化はなかったんですけれど、図書室で太宰治のような、古典と言われているものをチラチラ借りていました。きっかけが何だったかも憶えていないし、それで大きな影響は受けることもなかったです。『人間失格』を読んでちょっと暗い話だなと思うくらいで。10代の終わりに太宰の『斜陽』や『女生徒』や『ヴィヨンの妻』を読んでようやく、人間が持つ寂しさとか空虚感とか、道化になって無理して取り繕うみたいな感覚を味わい深く読めるようになりました。でも中学時代は、やっぱりサッカーをしつつ、暇だったら本を読むくらいの感じでした。

――古典と言われている作品というと、太宰の他に夏目漱石とか芥川龍之介とかは。

前川:夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだことは憶えていますが、文豪と言われている人たちの作品の内容はあまり記憶になくて。今思い出したんですけれど、最初に読んだ時からずっと好きなのは梶井基次郎の『檸檬』ですね。教科書か何かに載っていて、心に引っかかるところがあって。レモンを爆弾に見立てて書店の本の上に置くだけの話ですけれど、そこに何か、当時の自分の鬱屈した思いを重ねていたような気がします。短い作品ですし、節目節目で読み返しています。

――振り返ってみて、どんな子供だったと思いますか。

前川:ずっと内向的で引っ込み思案だったと思います。仲いい友達は本当に限られていて、自分から友達を誘ったりとかできなくて。今でも結構そうなんです。仕事を始めてからは少し改善がありましたが、人とちゃんと喋ることに苦手意識がありました。

――高校も地元の学校に進まれたのですか。

前川:そうですね。高校に入ってからは、ちょこちょこと流行りの小説とかを読んでいたと思います。高校の頃の読書でいうと、角田光代さんですね。

 角田光代さんの小説は、本当に小説の面白さを教えてくれたというか。角田さんの本を読んではじめて、自分も書いてみたいなと思いました。はじめて読んだのが『空中庭園』で、映画を観たら面白かったので原作も読んでみようと思ったのがきっかけです。ちょっと記憶が曖昧なんですが、そこから『対岸の彼女』とか『キッドナップ・ツアー』とか、角田さんの小説を読んでいきました。

――なぜそこまで角田さんの小説に刺激を受けたのだと思いますか。

前川:すっと文体が入ってきたというか。それと、父方の祖母が東京に暮らしていたので、小さい頃に夏休みに遊びに行ったりしていたんです。それもあって都会への憧れが強かったんですね。東京から帰ってくるたび自分が住んでいる場所がすごく田舎に感じたし、当時はカルチャーにしても届くのにタイムラグがあったりして。そういう時に角田さんと写真家の佐内正史さんによる『だれかのことを強く思ってみたかった』を読んだんです。写真と文章で構成されている本で、そのなかに「東京」という短篇があって。主人公の女の子が東京について語っていて、すごく大きな出来事が起きるわけではないんです。でもそれを読んだ時、小説の世界と自分の心情がピタッとはまったんですね。タイミングが合ったというか。作中で描かれていることと自分のいる環境は違うんですけれど、もうベタに「これ自分のことかも」と思いました。はじめてそういう体験をしました。もともと本好きでしたが、のめり込むくらいまでいったのは、角田光代さんの作品と出合えたことが大きいです。

――それで自分で実際に小説を書いてみたりしたのですか。

前川:原稿用紙を買って書こうとしたんですけれど、1枚も生まれなかったですね。それで、やっぱり自分は読む専門なんだなと思いました。

――高校時代、読書とサッカー以外に何かはまったものはありましたか。

前川:映画ですね。岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』とか、『ピンポン』といった、いわゆる単館系の映画をTSUTAYAで借りて観るようになりました。角田光代さんにはまるまでは、小説よりも映画、という感じでした。

――好きな映画監督は。

前川:昔はベタにジム・ジャームッシュとかがお洒落系でいいなと思っていたんですけれど(笑)、あまりずっと追っている監督はいないかもしれないです。最近は監督に関係なく話題になった作品を観ています。

 映画はすごく好きだったんです。自分は映画監督にはなれないけれど、映画には関わりたいと思っていました。監督になれないと思っていたのは、小説を書こうとして書けなかった経験があったからだと思います。自分には小説にしろ映像にしろ、物語を作ることはできないだろう、という感覚がありました。

 たまたま当時は服も好きだったので、高校卒業後は映画のスタイリストになろうと思って上京しました。それで一応スタイリストのアシスタントにはなったんですけれど、うまくいかずに数年で辞めて、1年間くらいフリーターの時期があり、その時にめちゃくちゃ本を読みました。アルバイトしながら、1日1冊くらいのペースで読んでいました。

――上京してすぐアシスタントになれるものなんですか。

前川:最初はライン工をしながらお金を貯めて、服飾の専門学校に行こうと思っていたんです。でも、たまたまファッション雑誌の後ろにスタイリストのアシスタント募集の告知が載っていて、手紙を出したら返事がきて。面接をして「すぐ働ける?」と言われました。それまで働いていたところには「申し訳ないんですけれど」と事情を話して辞め、アシスタントとして働き始めました。それが18歳くらいの頃です。

――スタイリストさんの仕事もいろいろですよね。映画には関わることができたのですか。

前川:雑誌に載るくらい有名なスタイリストなら映画の仕事もやるだろうと浅はかに考えていたんですよね。そうはうまくいきませんでした。自分がついていた人の主戦場はファッション雑誌だったんですが、コマーシャルだったり何かの歌番組だったり、現場はいろいろだったんです。でも映画の仕事はなかったです。

――仕事内容はアパレルに洋服を借りに行ったり、撮影前に衣装にアイロンがけしたりとか?

前川:はい。リースに行って、撮影の準備をして...。でも、辛すぎて記憶が飛んでます...。

 さっきも言いましたが、自分はやっぱりコミュニケーションがすごく苦手だったんです。でもああいう現場は常に初対面の人が多くて、それに自分はすごくストレスを感じてしまって。東京を歩いているといっぱい人がいるのに、自分には全然知り合いもいないし、みたいな感じでどんどんどんどん気分が落ちていって、結局辞めてしまいました。

――ベテランのスタイリストさんとかヘアメイクさんってコミュニケーション上手な人が多いですよね。

前川:そうなんですよ。そういう方々をいっぱい見ているうちに、ファッションの知識どうこうというよりも、自分の性格的に無理だなと思いました。自分は本当に口下手だし、明るくもないし、別に場を盛り上げるわけでもないし、って。コミュニケーションに関してはずっとコンプレックスがありました。

「アルバイトと読書だけの生活」

――それで仕事を辞めて、手あたり次第に本を読み始めたわけですか。

前川:そうですね。辞めたら辞めたらで「なんで自分は辞めたんだ」と、自己嫌悪にはまってしまって。地元を出る時も家族や周囲に大きなことを言って出てきたくせに、みたいな気持ちでした。それでモグラみたいな生活を送っていたんです。アルバイトに行って、帰ってきたらずっと家で本を読んで、またアルバイトに行って、というだけの生活を送っていました。

 そのモグラ時代に、小説にすごく救われたんです。小説さえ読んでいれば嫌な自分も忘れられたし、何かに夢中になれるし、何かいいことをしているような気分になる。今でも結構思い返すんですけれど、あの時期に、1冊の本で救われるんだと実感する経験をしました。

――本は買っていたのですか、借りていたのですか。

前川:その時は人間関係を完全に絶っていたし、掛け持ちでアルバイトして、電気代や家賃や食費以外はお金を使わなかったので、その分古本屋や新刊書店で本を買っていました。単行本は高いので、ほぼ文庫でしたけれど。

 その頃に先ほど話した太宰治を読んだり、三島由紀夫や中上健次といった有名どころの面白そうな本を手あたり次第読みました。三島由紀夫は『仮面の告白』なども読みましたがやっぱり『金閣寺』がすごく印象に残っているし、中上健次は『十九歳の地図』とかいろいろありますけれど、自分は後期に書かれた『千年の愉楽』をすごく面白く読んだ気がします。記憶が曖昧なんですけれど。

 村上龍さんもたくさん読みました。デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』なども読むなかで、いちばん強く印象に残っているのは『コインロッカー・ベイビーズ』です。もうなんか、どのページをめくってもずっとヒリヒリしているというか。自分の中の価値観というか綺麗ごとみたいなものを全部文章で破壊してくるような、衝動みたいなものが詰まっている本だと思いました。当時、相当夢中になりました。

――有名どころを選んだのはどうしてだったのでしょう。

前川:長年書店に置かれているということは、何かあるんだろうなという気がしました。面白い面白くないは別にして、何か物語にパワーというか、読み継がれる理由があるはずだと思って。なのですごくニッチな作品よりは、ベストセラーとなっている本を読んでいたと思います。

 ネットで有名な本を調べるとタイトルが出てくるので、あらすじも読まずにそれをメモして本屋さんに行って買ったり、本屋さんで平積みになっている本や、夏に各社がやっている名作フェアみたいなものから面白そうなものや装幀がいいものを選んで片っ端から読んでいったという感じです。

――ああ、装幀も大事ですよね。どんな装幀が好きでしたか。

前川:作品の中身が見えないような、抽象的なものが好きでした。たとえばボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか。ぱっと見どういう話か全然分からなくて、お洒落な感じで。海外文学はわりと装幀に惹かれたものを買っていたような気がします。

――『日々の泡』は新潮文庫ですね。同じ本が『うたかたの日々』のタイトルで早川書房からも出ていますけれど。

前川:そうです、自分が買ったのは黒っぽい表紙の新潮文庫でした。あれは肺の中で水蓮が育つという悲しい話で、衝撃を受けました。

 海外文学は他に、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』とか、カフカの『変身』とか。カフカは全部理解できるとは思わなかったんですけれど、とりあえず名作と言われているので読もうと思って。

 カポーティも、『カメレオンのための音楽』を装幀に惹かれて買って読んだら面白くて、『冷血』も有名な作品なので買いました。

『冷血』は圧倒されました。あれは実際に起きた一家四人惨殺事件を追ったノンフィクション・ノヴェルですよね。そこから、殺人事件を追ったノンフィクションとかにも手を延ばすようになった気がします。

――殺人事件を追ったノンフィクションといいますと他にはどのようなものを。

前川:わりと後になって読んだ作品ですが、清水潔さんの『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』とか、最近だと木寺一孝さんの『正義の行方』とか。あとは殺人事件に限らず、当事者たちの生の声を集めた本などは定期的に読むようになりました。

――読書に没入していた時期も、やっぱり自分には書くのは無理だなと思っていたんですか。

前川:小説を書こうとはまったく思わなかったですね。たぶん10代の頃に書こうと思って書けなかったことが奥底にあった気がします。

 あと、当時は本当に自分に何も自信がなかったというか。自己肯定感が低めだったし、何かをやろうという気持ちがあまりなかったです。だから、最低限本は読もう、という状況でした。

「看護師を目指す」

――その生活が変化したのは何がきっかけだったんですか。

前川:20代前半で半年くらいそういう生活を送って、やはり一生このままでは駄目だと思い、資格職に就こうと思ったんですね。このままどこかに就職するよりは、一回資格を取って、その仕事で長らく働いていこう、と。それで看護師を選びました。病院によるんですが、働きながら看護師の学校に行けば奨学金の返済を免除にしてくれる病院があったんです。その代わり資格を取ったら何年間かはうちの病院で働いてくださいね、というシステムです。月々いくらかはお金も入ってくるし、奨学金の返済も免除になるんだからいいな、という現実的な理由で看護師を選びました。そこが一般科病院で高齢者の患者さんの多い病院だったんですが、自分は両親が共働きで祖母と過ごす時間が長かったので、高齢者はわりと好きだったということもあります。

――学校で勉強しながら、病院では資格が必要ではない作業をやる、という感じですか。

前川:そうです。朝7時から昼12時まで病院で看護助手、ヘルパーさんみたいな感じで働いて、そのまま学校に行って午後から授業を受けて、学校が終わったらまた病院で夜9時くらいまで働いていました。

 最初は准看護師の学校に行きました。看護師になるルートっていろいろあるんです。専門学校に3年通って正看護師になるとか、大学に4年間通って正看護師になるとか、准看護師の学校に2年行ってから正看護師の学校に2年行って正看護師になるとか。自分は准看の学校に2年行って、正看の学校に2年行くというルートで看護師になりました。

――朝から働いて、途中で学校に行ってまた夜9時まで働くって、かなりハードなのでは。

前川:ハードでしたね。やってみるとめちゃくちゃきつかったです。けれど、スタイリストのアシスタントを辞めた時、辞めてもやっぱりきつい、という思いがずっとあったんですよね。だから、今ここできついからって投げだしても、結局きついだろうな、って。それがあったから頑張れた気がします。あと、当時自分は20代前半でしたが、年下の18歳くらいの女の子も同じようなことをやっていたので、自分もちゃんとしなきゃ、みたいな気持ちもありました。

 正直、看護学生の時はあまり読書できなかったと思います。たまの休みに1日潰して本を読んだりはしていましたけれど。

――それで学校に通って、看護師になって。でも、看護師さんこそ、コミュニケーションがすごく大事だと思うんですが。

前川:そうなんですよ(笑)。看護師を選んだ当時は、お金とか、選択肢とかが限られていたので、もうとりあえずこれをやって生きていくしかない、みたいな感じであまり深く考えていなかった気がします。

 看護師になってからは、やっぱり自分がちゃんとしないと目の前の人が意識を失うとか、それこそ本当に亡くなってしまう状況なので。そんなにめちゃくちゃ喋るようになったわけではないですけれど、業務上の会話はちゃんとするようになりました。もちろん自分自身が大人になっていくなかで、社会性が身についていったように思います。

――ローテーションで昼間の勤務もあれば夜勤もあるわけですか。

前川:そうですね。准看の資格を取って正看の学校に行くようになってからは、週末には准看として夜勤に入ったりするようになりました。

――東日本大震災があったのはその頃ですね。

前川:はい。正看護師の学校に通っていた頃です。なので、地元は被災したのですが、自分は東京にいました。

――その後も、本を読む時間はなかなかなかったですか。

前川:一番きつかったのは准看の資格を取るまでで、正看の学校に行くと夜勤以外は1日授業なので、普通の学生の生活みたいになるんですよね。それで夜寝る前に本を読む習慣を取り戻しました。

 その頃は結構新刊を読んでいました。古典をいろいろ読んでいた時は、何者でもない自分に対して何かヒントが転がっているかもしれない、みたいな気持ちで本を選んでいましたが、資格を取ってからは単純に面白そうな本を選んでいました。

――読んで面白かったものは。

前川:いろいろ読んでいたんですがあまり憶えていなくて...。角田光代さんも読んでいたし、文学賞を獲って話題になっている小説も読んだし、海外文学だとポール・オースターの『ムーン・パレス』とかも読んだし...。

 ああ、乙一さんをよく読んでいました。『ZOO』とか『GOTH』とか。桐野夏生さんの『OUT』を読んだのもこの時期だったと思います。貴志祐介さんも『黒い家』や、『鍵のかかった部屋』のシリーズなどを読みました。特に『黒い家』はものすごく好きです。あの小説に〈なますにしてやる〉という台詞があるんですけれど、『藍色時刻の君たちは』にそれをオマージュした台詞を入れたんですよ。山田風太郎賞に選ばた時、授賞式に選考委員の貴志さんがいらして、正直にそのことを伝えたら笑ってらっしゃいました(笑)。

――『黒い家』、怖いですよね。小さい頃怖い話がお好きだったということで、他にホラー小説にはまったりはしなかったのですか。

前川:澤村伊智さんが『ぼぎわんが、来る』でデビューされた時に触発されてがーっと読んだんですけれど...。ああ、でもその前に、鈴木光司さんの『リング』や『らせん』は読んでめちゃくちゃ好きでした。今でもすごいなって思っています。

――『リング』『らせん』は映画化作品も話題になりましたよね。ジャパニーズホラーは観ますか。

前川:それらの映画もめっちゃ好きでした。「リング」って90分くらいしかないんですけれど、謎解き要素もあるし、すごく濃密で、そこが衝撃的でした。ほかにはジャパニーズホラーの原点と言われている「女優霊」とか、ホラーとは違うかもしれませんが黒沢清さんの「CURE」とかも好きです。

「小説を書きはじめる」

――さて、小説を書き始めたきっかけは何だったのでしょう。

前川:看護師勤務の1年目は業務を憶えなければいけなくて大変なんですけれど、2、3年目になると落ち着いてくるんですね。それでふと、プライベートが暇だな、と思うようになってきて。その時期に、一緒にスタイリストアシスタントをしていた人と久しぶりに会ったんです。その人はアシスタントを辞めて自分でアパレル事業を起こしていて、夢を追っている印象だったんですね。それで自分も何かしたくなりました。村上龍さんがどこかで小説家は原稿用紙があればどこでもできる仕事だと語ってらしたので、確かにそうだなと思い、パソコンを新調し、ソフトも入れ、もう逃げられない環境を作って書き始めました。そしたら何百ページか書けたんですよ。村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』のパクリというか、パクリともいえないひどい話でしたけれど(笑)。結末まで書けたことが自信になって継続できました。

 そこから7本くらい、300ページくらいの小説を書きました。内容については自分でも、これが純文学ではないのは分かるけれど、エンタメだとしたら何になるんだろうと思っていました。小説を書き始めて2年目くらいの時に『跡を消す』を書いたんですが、その頃ちょうどポプラ社の新人賞募集の概要に「広義のエンターテインメント」と書かれてあるのを見つけたんです。他のエンタメの賞よりも的が絞られていない印象だったので応募したら、たまたま受かって...。

――2017年に『跡を消す』で第7回ポプラ社小説新人賞を受賞、翌年単行本を刊行されましたよね。刊行時に「特殊清掃専門会社デッドモーニング」というサブタイトルがついている。これは一人で自宅で亡くなった方の部屋の片付けをする会社の話ですよね。こうした設定はどうして思いついたのですか。

前川:村上春樹さんを真似した青春小説や村上龍さんを真似したちょっとバイオレンスなものを書いているうちに、やっぱりそれじゃ駄目だと分かってきたんです。その時に、『冷血』のようなノンフィクションっぽいものを書いてみたいと思ったんですよね。何か題材を置いて、それを深掘りして、できるだけリアリティのあるものを書いてみたいと思っていた頃に、たまたまテレビで特殊清掃のドキュメンタリーをやっていたんです。それで「ちょっと書いてみよう」くらいの感じで選びました。テーマを置いて、文献などにも目を通して書くのははじめてでした。

――ああ、なるほど。それでデビューされたということは、他に小説のアイデアのストックが全然ないわけですよね。デビュー後は大変だったのでは。

前川:そうなんです。ストックがないんです。吉本ばななさんだったかな、雑誌のインタビューで「デビュー前にストックがあったほうがいい」と語られていたのがずっと頭にあったので、デビューが決まった後、「あ、やばいストックがない」と思いました。

 その頃の自分はヘンに尖っていたので、小説を書き始めた時から絶対に医療系の話は書かないと思っていたんです。でもデビューが決まって、ポプラ社の担当者さんから「次はどうしますか」と訊かれた時、他にアイデアは全然ないし、自分が今書けるのは医療系しかないと思って...。でもちょっと外して、医療刑務所をテーマに選びました。

――それが2作目の『シークレット・ペイン 夜去医療刑務所・南病舎』なんですね。期間限定で夜去という街の医療刑務所に配属となった精神科医の工藤が、医療行為を受ける受刑者たちと接していく。実は受刑者の中には、工藤の過去に関わる人物がいて...という話です。

前川:医療刑務所についてはどこかで耳にした程度だったんですけれど、そういう場所があるというのは一応知っていました。

 2作目を書くにあたっては、文章に自信がなかったんです。文学賞に応募して落とされて鍛えられる経験もまったくしていなかったですし。そんな時期に、高橋弘希さんの『指の骨』を読んだんです。芥川賞の候補になって書店に並べられていて、タイトルが面白そうだったのであらすじを見たら、戦争のことが書いてあるっていうので。モグラ時代に大岡昇平さんの『野火』を読んで好きだったので、それと似てそうだなと思ったんです。『野火』に通じるオーラを感じました。

 それで『指の骨』を読んでみたら、作家としても読者としても、衝撃を受けました。もちろんストーリーも面白いんですけれど、文章がすごくタイトで。

 本当に自分の感覚で感じたことなんですけれど、あまり心理描写はないのに、動きで感情が伝わってくるというか。とても引き締まった文体で、でも最後のほうで主人公の心情みたいなものが爆発して、すごく胸がえぐられるんです。書き方にしても物語の感じにしても、たぶん一番影響を受けています。

――そして『シークレット・ペイン』を書き、3作目は『セゾン・サンカンシオン』ですね。アルコールやギャンブル、万引きがやめられないなど、なんらかの依存症の女性たちが共同生活を送り回復を目指す家を舞台にした連作集です。

前川:デビュー後に余裕がなくて「医療系でいきます」と言った時に、候補のひとつに「何かを抱えている当事者たちの集まりの小説」という案も挙げていたんですね。そこで編集者と話して2作目は医療刑務所にして、それを書き終えたら当事者たちが集まる場所の話にしましょう、ということになっていました。だから最初は、依存症という設定はなかったんです。

――当事者たちの集まりに興味があったのですか。

前川:それもたまたまなんですけれど、何かの医療雑誌に精神療法の一環として、生きづらさの会、みたいなものをやっている方々の記事があって。小説にしたら話が広がるなと思ったんです。なのであまり深く考えずに候補に挙げていました。

 決まってから、どうしようかと考えて依存症にしました。依存症だけだと小説としてどう書けるか分からなかったので、女性が抱える問題が陰にある、という人間ドラマを書くことにしました。

――看護師の仕事をしながらの執筆活動って、時間はあるのですか。

前川:やはりそんなに多作にはなれないんですけれど、書けることは書けるんです。看護師には夜勤もありますが、夜勤入りの日は午後まで家にいるので書く時間があるし、自分が勤務している病院は普通に有休消化率も良かったりもするので。あと、今自分にはまったく趣味がなくて。読書と映画を観るくらいで、ほぼほぼ家にいるんです。仕事との兼ね合いで時間的にきついといえばきついんですけれど、書くことに集中すれば書けるという感じです。

――『セゾン・サンカンシオン』を執筆している時期にコロナ禍が始まったわけですよね。医療従事者としても大変だったのでは。

前川:あれは緊急事態宣言などがあった時期に書いていました。今振り返ってみると、病棟で忙しくなってきた時に先の見えない物語を書いている辛さとキツさがありつつ、コロナという現実を忘れるために書いている部分もあって、執筆が救いにもなったりもしていました。

「デビュー後の読書生活」

――プロになってから読書生活に変化はありましたか。

前川:小説の読書量は落ちていますね。兼業だと趣味の本を読む時間まではなかなかないし、自分が知りたいことや資料を読むことが増えたので。原稿を書き上げて送って、そのゲラが戻ってくる間に集中して読んでいます。最近やっとミン・ジン・リーの『パチンコ』を読みました。韓国系の一家の話です。

 荒井裕樹さんのエッセイ集『まとまらない言葉を生きる』などのノンフィクションも結構読んでいます。読むのは小説とノンフィクション、半々くらいの割合ですかね。

 人のリアルな言葉や行動や仕草って、一般的に考えればちょっと不自然だったり不健全であってもその人には意味があったりするんですよね。本を読んでいる時にそういうことを知ると、なぜか分からないけれどすごく心が揺さぶられるんです。少し前に読んだ上間陽子さんの『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』もすごく面白かった。あと、この黒川祥子さんの『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』なんかも(と、本を見せる)、読んでいると文章の奥にある"人間"みたいなものがすごく浮かび上がってくるんです。そういうものが自分の執筆の糧にもなっている気がします。

――『誕生日を知らない女の子』、ものすごくたくさんの付箋が貼られていますね。

前川:小説を読む時は付箋を貼らないんですけれど、ノンフィクションに限っては心に触れた文章などに付箋を貼ります。『臨床のスピカ』を書いた時も、参考文献として読んだ本はこんな感じで...(と、本を見せる)。

――『ベイリー、大好き セラピードッグと小児病棟のこどもたち』という本に、やはり付箋がびっしりですね。読書記録などはつけているのですか。

前川:全然つけていないです。

――資料に関係のない、読みたい本はどのように選んでいるのですか。

前川:あまり下調べしないで本屋さんに行って、面白そうだなと思う本を手に取るようにしています。そんなにネットで買ったりはしないですね。

――そうして選んでご自身にとって当たりだった本は。

前川:河﨑秋子さんの小説です。最初に読んだのは『肉弾』だったと思うんですけれど、すごいなと思って一気に読み、今でもめっちゃ好きです。

――『肉弾』は北海道の自然のなかで観光客の青年が羆と死闘を繰り広げる話ですよね。

前川:そうですそうです。河﨑さんは『土に贖う』という短篇集もものすごく面白かったです。

 他には、芥川賞を受賞した砂川文次さんの『ブラックボックス』とか、佐藤厚志さんの『荒地の家族』とか、辻堂ゆめさんの『十の輪をくぐる』とかが面白かった。

――ジャンルを気にせず選んでいる感じですね。

前川:そうですね。ジャンルよりも、「これくらいなら2日くらいで読めそうだな」と考えて、長さで選んだりします。でも佐藤究さんの『テスカトリポカ』は厚みがありますが絶対に読みたくて、気合を入れて2日くらい部屋にこもって読みました。

 なので本当にその時の気分で自由に本を選んでいます。商業作家としては話題になっている本も押さえておきたいし、単純に面白そうなので、そういう本も読んでいますけれど。

――最近、映画はご覧になっていますか。好きだった作品などありましたら。

前川:シャーロット・ウェルズ監督の「aftersun/アフターサン」はパンフレットを買ったくらい、最近観た中ではめちゃくちゃ面白かったです。娘とお父さんの話です。大人になった娘が小さい頃にお父さんと過ごした夏を回想するんです。ただ幼少期の夏休みが描かれるだけだし、すごく言葉が少ないんですけれど、本当に感情が画面に滲み出ているというか。すごくいい映画です。あの映画については「Web別冊文藝春秋」でエッセイも書きました。

――その映画は私も人からすごく薦められました。今もU-NEXTかPrime Videoで観られるみたいですね。

「複雑さを書いていく」

――昨年山田風太郎賞を受賞された『藍色時刻の君たちは』は、はじめてポプラ社を離れ東京創元社さんから出した長篇でしたね。

前川:東京創元社さんはかなり早い段階で声をかけてくださったんです。ミステリの出版社という印象が強かったんですけれど、「ぜひ好きなように書いてください」と言ってくださいました。

――東北の街に暮らす3人のヤングケアラーの高校生の物語です。家庭の事情も、ケアに対する本人の意識も三者三様ですよね。彼らは東日本大震災に見舞われますが、その後、大人になった姿も描かれていく。

前川:デビュー当時のインタビューでも、自分の出身地が被災したのでいつか震災のことは書きたいと言っていたんです。でもどう書いたらいいか分からなくて。

 どこかで村上龍さんが、自分は二つのテーマをくっつけるのが好きだということをおっしゃっていたんですよ。それを思いだして、その時に興味があったヤングケアラーと、震災というものをくっつけてみよう、と。やはり東京創元社さんなので、自分はミステリを通ってきたわけではないけれど、ちょっとミステリ風くらいな感じにもなるかなと思いました。

――ヤングケアラーに興味があったのはどうしてですか。

前川:自分が関わる患者さんの周辺にヤングケアラーの人がいることが続いたんです。入院してきた患者さんのご家族がほぼヤングケアラーみたいな役割を背負っていたりして。自分の中でわりとホットなテーマだったので、一回書いてみたいというのがありました。もちろん、実際に会った方々のことをそのまま書いたわけではないです。

――ヤングケアラーと聞くとすぐ「行政に助けてもらったほうがいいのでは」と思ってしまいますが、本人たちの心情はすごく複雑ですよね。作中、彼ら個々人の思いも丁寧に描かれていて、いろんな立場、いろんな苦しみや葛藤、さらにはいろんな思春期の思いがよく伝わってきました。

前川:やっぱり複雑さみたいなものを書きたいというのがありました。彼らはサポートが必要な状況ではあるんですけれども、やはりそれぞれに状況も違うし、言いたいこともある。そのあたりはあんまり安直化しないように意識しました。「ヤングケアラー」=「かわいそう」というだけではない、当事者の声を大切にしながら書いた記憶があります。

――いつか震災を書きたかったというのは、どういう思いがあったのでしょうか。

前川:自分が住んでいた地区は海辺の地域が壊滅していて、結構被害が大きかったんです。でも自分はその時に東京にいて、何もできなかったという葛藤がずっとありました。ボランティアにも行けなかったし。自分が育った街が波にさらわれていく様子を見ているだけという無力感みたいなものがずっとありました。それを昇華、じゃないですけれど、なにか折り合いをつけるために書きたいという、個人的な思いが大きかった気がします。

 ただ、もうすでに震災関係のノンフィクションはたくさん出ているので、小説として被災者の「つらさ」を全面に描くよりは、それでも生きていく登場人物たちを描きたい気持ちが先行しました。悲しい現実も文章にしてしまうと嘘くさくなる気がして、それよりはひたむきに頑張ったり、立ち直るために心にひとつ線を引こうとしている人々を書きたかったんです。

――そんな『藍色時刻の君たちは』で山田風太郎賞を受賞されて。

前川:はい。もうあれは奇跡が起こったとしか言えなくて...。授賞式で自分が学生の頃から読んできた作家さんたちとお話しできたということがもう、単純に嬉しかったです。

――選考委員の方々ですね。

前川:貴志祐介さんと、夢枕獏さんと、恩田陸さんと、筒井康隆さん。筒井さんは自分の作品を推してくださったそうで、めちゃくちゃ感無量です。中学校の図書室に『七瀬ふたたび』とか『パプリカ』とかの文庫があって、自分も読んでいたので。

――新作の『臨床のスピカ』は、患者の治療計画の中で動物を介在させる療法を題材にされていますよね。東京のとある病院で動物介在療法が導入されることとなり、ゴールデン・レトリバーのスピカと、スピカのハンドラーの凪川遥が働くようになる。凪川は以前この病院で働いていたこともある看護師です。彼らと出会う患者や、患者の家族のさまざまなエピソードが綴られる一方で、凪川がハンドラーとなるまでの物語や、彼女が抱える家族の事情が盛り込まれていく。

前川:2022年くらいからちょこちょこ書いていました。最初は短篇の予定だったんです。それで書いたのが第一章の部分で、結局長篇にすることになりました。『藍色時刻の君たちは』と執筆時期が被っていたので、少しずつ書いていって、『藍色~』を書き終えた後で最初から手直ししていきました。

――第一章は、スピカと横紋筋肉腫と診断された少女とその家族の話ですよね。長期入院のストレスをためこんだ少女が、スピカと触れ合う時間だけは活き活きとしている。そもそも、動物介在療法という題材を選んだのはどうしてだったのですか。

前川:確か、最初は「動物に関する話」という提案をいただいたんだと思います。そのなかのひとつに「アニマルセラピー」というのがありました。「アニマルセラピー」という言葉自体は和製英語で、医療現場では動物介在活動や動物介在療法と呼ばれていることも知りました。ただ、自分は動物介在療法に関わったこともなかったので、そこからいろいろ調べていきました。

『セゾン・サンカンシオン』や『藍色時刻の君たちは』を書いていた時期に比べ、コロナ禍の日々を客観的に見られる状態になっていた時期だったんですよね。それもあって自分は人と人との距離、心理的な距離みたいなものを書きたいんだなと、途中で気づきました。

――一人一人の患者さんの状況や、周囲との関係性も丁寧に書かれていますよね。犬が人間を癒してくれるような、単純なハートフルな物語ではない。

前川:自分の勝手な印象なんですけれど、「病院に犬がいる」というパッケージだけで、犬が全部解決してくれるイメージが先行しそうだな、というのがあって。そうではなく、もっと掘り下げて、犬が寄り添うことで人は良くも悪くもどう変化していくのかを書きたかったんです。やっぱりハートフルなだけの話には絶対にしたくなかったです。ある種の厳しさとか悲しみも入れつつ、登場人物たちが行動を起こしていければいいかな、と思いながら書きました。

――確かにどの章も厳しさを描きつつ、最後はすごく前向きな気持ちになれます。読者が突き落とされたような気持ちになって終わる話ではないんですよね。

前川:そうですね。自分は突き落として終わるような話も好きなんですけれども(笑)、この小説は「寄り添う」がテーマのひとつだと思うので。読んだ人が、そばにスピカがいてくれるような読み心地になってくれればいいなと思って書きました。明るいハッピーエンドとは言わないですけれど、少しは光が見えるような終わり方にしました。

――やはり実際に医療現場に関わっている方だから書けるリアリティがあるんだなと感じました。現場のことや病気の症状についても、登場人物の心情についても。

前川:何かしら痛みを抱えている方々と接する機会が多いので、その時に感じたことは、もちろんそのまま書くことはできないですけれど、キャラクターに乗せて書いていけたらと思っています。

――読者を突き落とすような話もお好きとのことですが、ご自身でも書いてみたいですか。

前川:はい。バッドエンドの話も結構好きで、ホラーも書きたいです。でも今ホラーがブームになっているので、ブームが終わった頃にひっそりと書きたいです(笑)。

――最近もホラーは読んでいますか。ご自身だったらどんなホラーを書きたいですか。

前川:背筋さんとか雨穴さんの作品を読みましたが、よりリアリティがあって怖いですよね。

 自分は民間伝承が結構好きなんです。たとえば小松和彦さんの『憑依信仰論 妖怪研究への試み』はフィールドワークで憑依現象をロジカルに解き明かしていて、すごく好きな本ですね。なので、そういう民間伝承にまつわるものをいつか書いてみたいです。

――現在も、お休みの日はずっと書いているか読んでいる、という感じですか。

前川:休みの日はほぼそうですね。でも子供が二人いるので。この前も学校開放の役員をしましたし、公園で子供とサッカーをしたりもするので、そういうこともしつつ、時間を見つけて書いている感じです。

――今後のご予定は。

前川:「小説 野性時代」で不定期にジェンダーの問題を書いています。それとは別に、書き下ろし長篇にも取り掛かっています。「やまゆり園」の殺傷事件が自分の中でものすごくわだかまっていることの一つなので、自分なりに書いてみたいなと思っていて。もちろん事件をそのまま書くわけではなく、現代と近代を交互に描こうかなと思っていて...。イメージでいうと、『藍色~』でヤングケアラーと震災を合わせたように、別々の出来事を合わせた感じの話になるのかな、と。

 どちらも単行本になるのはまだ先です。もともと自分は出せても1年に1作くらいなので、じっくりと、納得いくものを書きたいなと思っています。

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