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戦後80年、証言から記憶へ 自らの体験を自らの手で検証する 吉田裕

中国兵に銃を向ける日本兵=1938年、中国・武漢

 今年は「戦後80年」の節目の年である。日本政府は1995年の村山富市首相談話以来、閣議決定を必要とする首相談話を10年ごとに公表してきた。村山談話は、「植民地支配と侵略」の歴史に対する「反省」と「お詫(わ)び」を初めて表明したものだが、その後の首相談話も濃淡はあるにせよ、村山談話を継承するという立場を明らかにしている。その経緯が示すように、談話の核心部分は、戦前の歴史に対する政府としての総括である。

 ところが報道によれば、石破茂首相は戦後80年首相談話を公表しない意向だという。事実だとするならば、それは大きな政策転換を意味する。首相談話の見送りは、かつての戦争に関するこれ以上の検証や反省はもはや必要ないし、近隣諸国の十分な理解もすでに得られているという政府としての判断を、事実上内外に示すことになるからである。しかし、近隣諸国との間に歴史認識問題は依然としてくすぶり続けている。国内でも、45年8月に終わる戦争の歴史的評価は、侵略か自衛かという問題一つとっても、なかなか定まらない。むしろ戦後80年首相談話を積極的に発出することによって、あらためて国民的な論議を深めていく必要があるのではないか。

 その際留意する必要があるのは、戦後という時代の長さである。明治元年にあたる1868年から敗戦の年である1945年までは77年である。つまり、すでに戦後の方が戦前より長くなっている。その長い戦後という時代に、我々は戦争の歴史にどのように向き合ってきたのだろうか。戦争の時代それ自体の総括とともに、戦後史そのものの検証が求められているのだと思う。以下、重要な示唆を与えてくれる5冊の文献をあげてみたい。

アジアへの侵略

 戦争の歴史的評価を考える上で重要なのは、コンパクトな通史としても貴重な意味を持つ江口圭一『十五年戦争小史』である。本書の最大の特徴は、満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争を、「ばらばらの戦争ではなく、相互に内的に連関した一連の戦争」として捉える十五年戦争史観である。江口によれば、あしかけ15年に及ぶこの戦争は、中国における主権回復や民族解放の動きを軍事力で圧殺しようとした侵略戦争だった。日本人の戦争認識がアメリカとの戦争に偏りがちなことを考えれば、アジアとの関係を重視した江口の視点は依然として有効である。なお、一連の戦争とは言っても、江口は、国家指導者内部の抗争と対立、そして妥協と協力の過程にも細かく目配りをしている。

 民衆の戦争協力に関する研究としては、吉見義明『草の根のファシズム』をあげることができる。吉見によれば、日中戦争が始まるまでは、政治的・社会的解放や生活の向上を求めるデモクラシー意識が民衆自身の中に存在していた。しかし、戦争の勃発や長期化の中で、そうした解放意識はしだいにねじまげられ、民衆は「草の根帝国主義」の主体的な担い手に変貌(へんぼう)していく。本書は、それまでの日本史研究ではあまり重視されてこなかった民衆の戦争体験記、すなわち、戦後に私家版や非売品として刊行された日記や回想記などに光をあてる。そして、その徹底的な収集と分析によって、民衆意識の多様なありようを浮き彫りにしていく。

 重要なことは、そうした体験記の刊行自体が、民衆自身の戦争体験やアジア体験を自らの手で検証する営みという性格を持っていたことである。そのため吉見の研究は、日本の民衆が自らの痛切な体験を通じて、平和意識を身に着けていく歴史的プロセスを明らかにするという意味をあわせ持つことになる。しかし、吉見によれば、その平和意識には、自らの戦争協力に対する内省の不十分さやアジアに対する「帝国意識」の持続といった深刻な問題がはらまれていた。

いまにつながる

 成田龍一『「戦争経験」の戦後史』は、「戦記もの」などの戦争体験記を系統的に分析し、「戦争経験」に関する「語り」の戦後史を分析した著作である。沖縄や植民地の問題を常に視野に入れていること、戦後歴史学のありかたを問い直すという姿勢で一貫していること、この2点に際立ったユニークさがある。成田によれば、その「語り」は、戦争が「状況」として語られる戦時期、戦争が「体験」として語られる時期、戦後生まれの存在を前提にして、戦争が「証言」として語られる時期、そして、戦争を体験した世代がごく少数になる中で、証言に依存しない形での戦争の「記憶」の構築が課題となる90年代以降の時期に区分することができる。この卓抜な時期区分に従えば、体験者による証言を重視する現在の「8月ジャーナリズム」の手法は、「記憶」の時代への移行に対応できていない、ということになるだろう。

 「終わらぬ戦後」という視点もまた重要である。『ルポ 戦争トラウマ』はそのことをよく示している。近年日本でも戦争トラウマに関する関心がようやくたかまりつつあるが、本書は兵士だけでなく、沖縄などの地上戦の体験者、原爆・空襲の体験者などのトラウマにも目を向けている。また、父や祖父の世代のトラウマが、家庭内暴力や虐待という形をとって、子や孫の世代にも影響を及ぼすという深刻な現実にも注意を促している。戦争トラウマの影響は、「いまにつながり」、現在の「生活の中に潜んでいる」のである。

 同時に、戦後80年の歴史を振り返る時、最近大きなかげりを見せ始めたとはいえ、それが実現した「平和と繁栄」だけに目を向けるのは、やはり問題だろう。藤原和樹『朝鮮戦争を戦った日本人』によれば、朝鮮戦争の地上戦に参加した日本人がいた。米軍に協力した港湾労働者や船員の存在は比較的よく知られている。米軍の機密文書に基づき藤原があらたに明らかにしたのは、在日米軍基地で働いていた日本人の若者が、朝鮮に派遣される米軍に随行して朝鮮半島に渡り、炊事や通訳の仕事をしながら戦闘にも参加していた事実である。彼らの中からは戦死者も出ている。ここには、「平和国家」日本のもう一つの相貌(そうぼう)が現れている。=朝日新聞2025年8月16日掲載