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小出版社の挑戦 息苦しい時代にほとばしる思いで 島田潤一郎

新刊書が積まれた夏葉社の社内。マンションの一室で編集から営業まですべて一人でこなす=東京都武蔵野市、筆者提供

 小さな出版社は昔からある。机と電話があればいつでも始められるといわれてきたし、資本力や業界での地位とは関係なく、よい本をつくることさえできれば、だれでも認められるのが出版という仕事だからだ。

フェアな業界

 実際、ぼくが2009年に見様見真似(みようみまね)で出版社を始め、なにより驚いたのが、営業先の書店でちゃんと話を聞いてもらえるということだった。それだけでなく、担当者がよさそうだなと判断すれば、その場で注文までもらえた。もちろん、忙しいからと営業を断られることもあった。が、こちらの知名度がないからという理由で書店からおざなりに扱われたことはほとんどなかった。つまり、それくらいに出版業界はフェアな業界で、だからこそ、いまも昔も出版社を始める人が絶えないのだ。

 ひとりで出版社を始めるとき、勇気を与えてくれたのは、03年に刊行された『ひとり出版社 「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版・1760円)という本だ。「ひとり出版社」という言葉の嚆矢(こうし)はおそらくこの本であり、ここには小さな出版社の実態と可能性が驚くぐらいに開けっ広げに書かれている。岩田書院が専門としているのは歴史書であるが、たとえば02年の実績だと、新刊の刊行点数が42点、増刷が9点、雑誌が24点であり、「創立10年目にして初めて年商1億円を突破しました」と書かれている。もちろん、これだけ多くの書籍をつくるのには外部の編集者や著者の協力が必須であり、本書にはそのことについても触れられているが、それでも岩田書院は岩田博さんたったひとりの出版社なのだ。

だれもが発信

 その02年ぐらいから、「読者」という言葉がすこしずつ変化しはじめた。ある時代までは、読者とは、本の読者と雑誌の読者、そして新聞の読者のことを指した。が、このころから、そこにブログの読者が加わることになった。活字を愛する人々は朝は新聞を読み、雑誌を読み、本を読んだが、夜はパソコンの前に座り、自分と同じような環境で日々を過ごす人々の日記を読むようになった。

 それはとても大きな変化だった。まず、書き手の裾野が広がった。次に、多くの人が「書く」という行為に参加することで、自身の意見や評価を公にするようになった。それはインターネット回線を通して、心の内側を顔の知らない読者に打ち明けるということであったが、同時に、書くことさえしなければ曖昧(あいまい)であった移ろいやすいものに、わかりやすい、はっきりとした言葉を与えるということでもあった。書くことによって人々はつながったが、同時に、激しく対立し始めた。

 この新しいメディアの流行は、紙の本の暗い未来を予想させたが、一方で誰でも発信できるという環境は、出版業界の作家以外の人たち、すなわち、編集者や書店員たちに活躍の場を与えた。

 ミシマ社の代表である三島邦弘さんは出版社を創業した翌月の06年11月からブログを発信し始めたが、このブログに触発され、起業した編集者は少なくないだろう。三島さんの『計画と無計画のあいだ』(河出文庫・814円)には、本づくりへのほとばしるような思いが詰まっている。

 1938年生まれの編集者である津野海太郎さんは近刊『生きるための読書』(新潮社・2200円)のなかで、「ますます息苦しくなる世界に押し潰されずにいるための読書――つまりは『生きるための読書』とでもいうべき新しい習慣が定着しはじめていることに気づいた」と書いた。

 21世紀以降に生まれたたくさんの小出版社は、出版が儲(もう)かるという発想からスタートしているわけではないだろう。時代が見えないからこそ、ある日、出版社をつくり、松明(たいまつ)の炎となるような本をつくりたくなったのだ。=朝日新聞2025年9月27日掲載