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私たちの闘い 自分で動く:4 「わたしの言葉」をつかむ

 深く影響を受けたとして真っ先に浮かぶ作家は、やはり李良枝(イヤンジ)だ。
 ことばの杖を、目醒(めざ)めた瞬間に摑(つか)めるかどうか、試されているような気がする(略)アであれば、아(ア)、야(ヤ)、어(オ)、여(ヨ)、と続いていく杖を掴むの。でも、あ、であれば、あ、い、う、え、お、と続いていく杖。(『由熙〈ユヒ〉』)
 母語としか呼びようのない日本語と、母国語と呼ぶべき韓国語。母語と母国語が一致しない「在日韓国人」の葛藤を、李は「ことばの杖が摑めない」と表す。日本語と中国語の間で「迷子」になっていた私には、真に迫る表現だった。『由熙』に先立ち、同様のテーマで『刻(こく)』(講談社文芸文庫・1512円)と題した小説を李は書いている。韓国に留学中の「私」の一日が、時系列に沿って克明に綴(つづ)られていくという形式の長篇(ちょうへん)だ。ただし、刻一刻と生きつつある「私」の自意識は、くに(日本)、と、ナラ(韓国)、という、彼女にとって二つの「母国」の狭間(はざま)を絶えず揺れている。

自身を裏切る

 何を言おうと、言葉を吐くこと自体がすでに彼女自身を裏切り始める。(『刻』)
 自分を語るために用いているこの言葉が、しかし自分自身の言葉では決してない。「私」のこうした切実な苛立(いらだ)ちが随所で痙攣(けいれん)する『刻』は、個人と言語の根源的な関係を直視する小説でもある。
 反復練習だ。私の話す言葉は、いつも他人の言葉の引用反復だ。(同)
 赤ん坊の状態でこの世に生を受ける限り、言語とは本来、誰にとっても外から来るものなのだ。私たちは「他人の言葉」を模倣することなしに、自分の言葉を獲得できない。
 同時期、ベトナム出身で米国の思想家であるトリン・T・ミンハもよく読んだ。『女性・ネイティヴ・他者』をはじめ、トリンの著作は「個人的なことは政治的なこと」と教えてくれた。また私はトリンによって李良枝作品への理解も深めた。日本語及び韓国語という言葉からなるそれぞれの「杖」の、一方しか選んではいけないと思い詰める由熙や、「他人の言葉」を模倣するしかない我が身を神経質に嘲笑(あざわら)う『刻』の「私」のありようを、「権力は、つねに言語のなかにその力を刻み込んできた」というトリンの指摘に照らし合わせて再考すると、国民国家の言語たる韓国語と日本語が内包する、韓国人はかくあるべし、及び、日本人ならばこうであれ、という圧力に対し、言葉によって成り立つ文学の世界で、李がぎりぎりの抵抗に挑んでいるとわかってくる。トリンの表現を拝借すれば「言語は、力の発露の場所であり、また同時に無自覚の服従の場所でもあり、非常に複雑な隷属形態」なのだと、二つの母国語を持たざるを得なかった李は鋭く意識していた。

なぜ書くのか

 なぜわたしは書くのか? 存在の謎を探るため。わたし自身に寛大であるため。わたしの外にあるすべてを近寄せるためだ。(『べつの言葉で』)
 ベンガル語と英語の間を行き来して育ち、今はイタリア語でも書くジュンパ・ラヒリの宣言に、李良枝が重なる。
 わたしはわたしの言葉だけに属している。(同)
 今年の五月、私は三十七歳になった。二十五年前のやはり五月、私が敬愛する作家は三十七歳で逝去した。この先の私は、永遠に李良枝よりも長く生きる。
 さて、どうしよう?
 トリンの言う「単一の文化内、あるいは、複数の文化間において分割線を設定することが誰にどのような力をおよぼすのか、あるいは、およぼさないのかといった問いへの姿勢」(『ここのなかの何処かへ』小林富久子訳、平凡社・3888円)を保ち、「わたしの言葉」を書くしかない。李良枝が短すぎる生涯を駆けぬけて切り拓(ひら)いた美しきけもの道に続かなくてはならない=朝日新聞2017年8月27日掲載