大澤真幸が読む
言わずと知れたプラトン。西洋思想の原点にいる古代ギリシャの哲学者だ。プラトンの著書は対話の形式で書かれており、そのほとんどで主役は「ソクラテス」である。『パイドン』はソクラテスが刑死の直前に仲間と交わした討論ということになっており、プラトン哲学の中心にあるイデア論をまとまったかたちで展開した著作だ。パイドンは討論者の一人の名。
哲学の特徴は「Xとは何か」という問いにある。美とは何か、人間とは何か、机とは何か……。「Xとは何か」への答えが前提にしている対象、「まさにXである」とされる何かを、プラトンはイデアと呼ぶ。個々の具体的な事物がXであるのは、イデアを分有しているせいだとされる。この花が美しいのは、美のイデアを分有しているからだ。
イデアという語の原意は「見られるもの」だが、イデアそれ自体を目で見ることはできない。個々の人間を見ることはできるが、人間一般であるもの、人間のイデアを見ることは不可能だ。
本書で、イデアを知るとは、イデアを想起することだ、という有名な説が示される。Xとは何かを問うのは、Xを知らないからだ。しかしXを探求するためには、Xを知っていなくてはならない(財布が何かを知らずに財布を探すことはできない)。この矛盾を解くために、遍歴を重ねてきた不死の魂はXのイデアをもともと知っており、それを忘れていただけだ、と考える。知ることは、その忘れていたことを思い起こすことである。
イデア論によって哲学の基礎が築かれた……と思うのだが、後の『パルメニデス』では、ふしぎな論理が展開される。「一であること」と「存在」との間には調停できない矛盾がある、と。例えば具体的な人間たちは多様でバラバラだが、人間のイデアは単一である。一つのものとしてある、のがイデアの本性だ。プラトンは「イデア」というあり方に何か根本的な問題があることに気づき、イデア論を徹底的に鍛え直そうとしたのだ。愛知(フィロソフィア)の厳しさを改めて思う。(社会学者)=朝日新聞2018年11月10日掲載