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松原タニシさん「異界探訪記 恐い旅」 恐怖と楽しみが詰まった、2年間の旅路

文:朝宮運河 写真:有村蓮

――「事故物件住みます芸人」である松原さんが、異界巡りを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

 僕は2012年から事故物件に住んでいるんですけど、段々それが当たり前の生活になってしまったんですよ。異常であることに慣れたというか、現状に甘んじている気がして。自分から積極的にネタを拾いに行こうと思ったんです。

――自殺や孤独死があった部屋を借りるだけでも、十分刺激的だと思いますが……。

 住んでみると、恐いのは最初だけですね。実際それほど不思議なことは起こりませんし。次々新しい物件に住めればいいんですが、引っ越しにはお金や時間がかかる。じゃあその期間を利用して、もっと恐いところに行ってみようというのが、異界巡りを始めたきっかけです。僕は大の恐がりなんですけど、事故物件に住めたんなら、深夜の心霊スポットにだって行けるんじゃないかと。

――『恐い旅』の「はじめに」にも「もっと不思議なものに出会いたい、幽霊がいるならこの目で見たいと、さらに渇望するようになりました」とありますね。そのモチベーションはどこから湧いてくるのですか。

 ゲームをしているような感覚に近いんだと思います。こう言うと自分に酔っているみたいですけど、事故物件で暮らすようになってから、この先の人生に理想を抱かなくなったんですよ。結婚して幸せな家庭生活を送っても、最後は暗いアパートの一室で孤独死しているかもしれない。じゃあ欲張ってもしょうがないな、と感じるようになったんです。自分の人生をロールプレイングゲームのように、どこか客観視できるようになったというか。

――事故物件に住んだことで、死生観が変化したんですね。

 大きく変わりましたね。事故物件で自分探しができた(笑)。そう考えてみると、心霊スポットってゲームで言う「ダンジョン」に近いのかもしれません。新しい場所を訪れるたびに経験値が上がって、新たなステージに進める。次々とクリアしていく感じが楽しいんだと思います。

――これまでに訪問した異界は合計何か所ですか?

 『恐い旅』で訪れたのは約200か所ですが、その後も着々と増えていて全部で300か所くらいですね。仕事で地方に行った際は、欲張ってつい2か所、3か所と巡ってしまいます。「このコースならもう一か所増やせるな」と考えている時は、観光旅行の計画を練っているみたいで楽しいですよ(笑)。趣味の活動なので、交通費や宿泊費はもちろん自腹。心霊スポットに行き過ぎて、貯金が底をついたこともありました。

――北は北海道から南は沖縄、さらには台湾にまで足を伸ばされていますね。特に印象に残っている異界ベスト3をあげてもらえますか?

 まず高知県の星神社。ここは初めて一人で出かけた異界スポットとして、記憶に残っていますね。それまでは後輩芸人と一緒だったので、そこまで恐くなかったんです。深夜の石段を一人で登りながら、祟られたらどうしよう、幽霊を見たらどうしようとビクビクしていたんですが、あまりの恐さに「もう祟られてもいいや」と心境が変化したんです。興味本位で足を踏み入れているのは事実だし、これで祟られるなら自業自得だよなと。そう開き直れたことで、異界巡りの経験値がアップしましたね。

――約400ページにわたる『恐い旅』は、松原さんが恐怖心を克服してゆく過程でもあるんですね。

 そうですね。だから読み返してみると、やっぱり前半の方が濃密なんです。最初のうちは行く場所すべてが新鮮で、とにかく恐かったですから。後半になると「このくらいの山深さは経験済みだな」「この手の廃神社は別の県でも行ったな」と慣れが生まれてしまって、それが文章にも表れているような気がします。

 2か所目は、高知県の吉良神社です。長宗我部元親の側近、吉良親実を祀った神社ですが、この武将は家督争いの混乱から切腹を命じられ、家臣とともに「七人ミサキ」という怨霊になったと言われているんですよ。本にも書きましたが、この話をライブでしたり、夜中に神社を訪れたりした際に、不思議なことが起こりました。

 七人ミサキは水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場する、伝説的な存在です。それがいまだに祟りをなして、ライブハウスの機材や僕のスマホに影響を及ぼしているのだとしたら、すごいことだなと。ファンタジーと現実が交錯する感覚というか、自分がアニメの登場人物になれたような興奮がありました。

――確かにそう思うとロマンがありますね。3か所目はどこですか?

 奈良県にある白高大神です。ここでは同行していた後輩芸人にしね・ザ・タイガーが、幽霊に取り憑かれるという事件が起こりました。しかも訪れた場所についてやたら詳しくなる、というあまり聞いたことのない取り憑かれ方(笑)。もともとオカルトには全然興味のない男なんですが、現地に着いたとたん神社の過去についてぺらぺら語り出して、止まらなくなったんですよ。「心霊スポットに行って霊に取り憑かれた」という話はよく聞きますが、身近な人間がそうなったのは初めてで、とても印象に残っています。

――2年間に及ぶ旅の途中では、他にも何度となく不思議な体験をされていますね。はっきりと人の幽霊らしきものを見たことはありますか?

 一度だけあります。京都の伏見稲荷神社で、鳥居と鳥居のすき間にすっと消えてゆく人影を目撃しました。夜中の3時なので観光客ではないでしょうし、そもそも人が隠れるようなスペースはなかったですからね。その時は恐いというより、ついに奇跡に出会えた、という感動の方が大きかったです。

――そこで感動するのが、松原さんの面白いところですね。

 不思議なものがあるなら見てみたい、という気持ちが強いんですね。もし本当に幽霊がいるとしたら、常識では計り知れない世界があるということ。そう思うと、生きていくうえで希望になるじゃないですか。

――心霊スポットや事件・事故現場に足を運ぶのは不謹慎だ、という声もあると思いますが、どう折り合いをつけていますか?

 まず地元の人に迷惑をかけるような行為はしない、というのが最低限のマナーですよね。そのうえで、自分自身が不快になるような場所にも行かない。たとえばまだ記憶に新しい事件や事故の現場は避けるようにしています。それと文章を書くときは、余計な憶測をつけ加えたり、事実をねじ曲げたりしない。救いがない事件に尾ひれをつけて、さらに辛い話にするのは嫌なんです。あくまで自分が感じたことだけを、正直に書くように気をつけました。

――確かに、恐怖を煽るような書き方はされていませんね。一方で、海坊主かと思ったらタコ採りの漁師さんだったというエピソードのように、ユーモラスな面もあります。

 人を恐がらせるのが苦手なんです。恐がらせにかかっているなと気づいた瞬間、そんな自分に鳥肌が立ってくる(笑)。この本も怪談集ではなく、あくまで僕の旅日記。何も起こらなかったら正直にそう書きますし、笑えるエピソードがあったらそれも書きます。恐い本を求めている人には物足りないかもしれませんが、怪談マニアでない人にも読んでもらいたかったんですよ。

――昨年刊行の『恐い間取り』が8万部 を突破し、松原さんのメディア露出も急増しましたね。こうした状況の変化は、どうお感じになっていますか。

 以前よりはるかに人と繋がれている、という実感がありますね。お笑いを専門にしていた頃は、自分が面白いと感じるものと、お客さんの求めるものがすれ違うということがよくありました。しかし事故物件や異界巡りの活動をするようになって、お客さんとの距離が縮まった。「深夜、心霊スポットに行ったらどうなるんだろう」、というのはもともと僕の個人的興味なんですが、同じような興味を持っている人が世の中にたくさんいたんですね。

――「恐いもの見たさ」で多くの人と繋がれたんですね。

 そうです。以前は芸人として「こうなりたい」という理想のイメージがあったんですよ。面白いコントを作って、R-1ぐらんぷりで優勝して、売れっ子のテレビタレントになるみたいな(笑)。最近そういうこだわりは一切なくなりましたね。事故物件に住んで、心霊スポットに行っているだけなのに、こんなに大勢の人に興味を持ってもらえる。それでもう十分だなと思います。

――「事故物件住みます芸人 」という、かつてないジャンルを確立されたわけですしね。これからも全国の異界巡りは続けていかれるのでしょうか?

 はい、楽しいですから。事故物件に住むのは仕事みたいなものですが、異界巡りはあくまで個人的な趣味。『恐い旅』はその楽しさを書いた本です。最近では事務所やマネージャーも理解があって、異界巡りをしやすい営業スケジュールを組んでくれるんですよ(笑)。まだ足を踏み入れていない異界もたくさんありますし、飽きるまでは続けていきたいと思います。