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「天皇制と代替わり」 歴史と憲法との整合性考える(吉田裕・一橋大学特任教授)

「即位礼正殿の儀」=10月22日、皇居・宮殿「松の間」

 台風によって多少の軌道修正を余儀なくされたとはいえ、「令和」の代替わり儀式が粛々と進められている。前回の代替わりの時は、昭和天皇の容体急変に伴う「自粛」の強要、戦争責任問題や儀式と憲法との整合性をめぐる激しい議論など、社会全体に緊張感がみなぎっていた。個人的には、外国人留学生から日本の知識人はこの状況に対してなぜ抗議の声をあげないのかと、日本史の安丸良夫先生(故人)と共に難詰されたことが印象に残っている。

十分な議論なく

 それに比べると今回の代替わりのこの屈託のなさは何だろうか。十分な議論もなしに閣議は前回の「前例踏襲」を決め、主要な行事のたびにメディアは奉祝一色となる。安定した皇位の継承を重視するのであれば、女性天皇や女系天皇を容認するかどうかが大きな争点になるはずだが、皇室典範改正の議論はほとんど聞こえてこない。

 特に問題なのは物事を歴史の流れの中でとらえ直しながら、憲法との整合性を重視するという発想があまり感じられないことだ。たとえば多くの国民に支持されている現在の皇室の在り方が、平成への改元によって直ちに実現し、今後もそのまま継続していくようなイメージが社会の中に定着している。

 しかし、NHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査で、天皇に尊敬の念を持っている人の割合が、何も感じないとする人の割合を上回ったのは2013年が最初だ。憲法との整合性という点で言えば、法的根拠に乏しく宗教色の濃い代替わり儀式、それも戦前のものをほぼそのまま継承した儀式が憲法に抵触しないか、という問いかけはほとんど問題にされない。

 実は歴史的にとらえるということと憲法との整合性という二つの問題は、日本国憲法が戦前の歴史への反省の上に成り立っている以上、深いところでつながっている。しかし、そのつながりが意識されることも少ない。

 ここで少し立ち止まって、天皇や天皇制の問題についてじっくりと考えてみる必要があるだろう。その手掛かりとしては、次の3冊の本が重要だ。

創られた「伝統」

 1冊は政治学者、原武史の『平成の終焉(しゅうえん)』。「平成流」と呼ばれる象徴天皇制の在り方は明仁皇太子・美智子皇太子妃の時代に「胚胎(はいたい)」していた。また「平成流」は、天皇に権威を付与しようとする揺り戻しの動き=「戦前への逆流」に抗しながら、次第に形成されていった。そのことを歴史的に解明している。憲法との関連では、退位の意思を明らかにした「天皇メッセージ」のように、天皇が権力の主体として立ち現れる場合があることも鋭く指摘している。

 もう1冊はベテランの皇室担当記者、井上亮の『象徴天皇の旅』。明仁天皇と美智子皇后の行幸啓に取材した著作だが、行幸啓の政治利用や国民生活に対する規制や圧迫を許さないという強い使命感と冷静な分析力が光っている。特に被災地への訪問の形式化や、一度取りやめになった植樹祭における「天皇陛下、バンザイ」が復活していることなどは、「平成流」を考える上で重要な指摘である。

 3冊目は、歴史学者、中島三千男の『天皇の「代替わり儀式」と憲法』。長年、代替わり儀式の研究に取り組んできた著者は、儀式の法的根拠、憲法の国民主権・政教分離原則との整合性を分析することによって、現在の儀式の在り方が憲法の原理に適合していないことを丁寧に解き明かしている。またマスコミが「王朝絵巻のような」と形容する即位儀式が、明治時代に創られたものだという指摘も興味深い。新儀式は、それまでの儀式から中国王朝と仏教の影響を排除して創られたという。まさに「伝統の創造」である。=朝日新聞2019年11月9日掲載