アニメがきっかけで本を読む
――小さい頃、本をよく読む子どもでしたか。
うーん。あまり読まなかったですね。両親も姉も全然読書しないので、家に本がなくて。なので、最初に読んだ本として憶えているのは、小学生の時に読んだライトノベルの『スレイヤーズ』です。アニメを見て、その後で原作の存在を知って読むようになりました。それがライトノベルの入り口になり、それから富士見ファンタジア文庫のライトノベルを読むようになりました。秋田禎信さんの『魔術士オーフェン』のシリーズとか、「ソード・ワールド・ノベル」という、「ソード・ワールド」の世界観を使ったシェアード・ワールドのシリーズがいろいろあって。ほかに『ロードス島戦記』なども読みました。読む本はファンタジー小説が多かったです。
――アニメで興味を持ったので活字で読んでみたら、活字の世界も面白かった、と。
そうだと思います。僕、小学生の時の記憶が全然ないんですけれど(笑)。記憶を操作されたのかっていうくらい憶えていないんですよ。
――そうなんですか(笑)。お姉さんとはいくつ離れているのですか。文化的なことで何か共有したこととかなかったのでしょうか。
姉は9つ上で、いつも帰りが遅かったし、話題の接点がなくて。僕が20歳過ぎるくらいまで、ほとんど会話がなかったです。
――ご出身は埼玉県ですよね。小学生の頃、放課後どんなふうに過ごしていたかの記憶はありますか。
大宮のあたりで育ちました。小学校高学年くらいかな、『スレイヤーズ』とか「ソード・ワールド』が載っていた「ドラゴンマガジン」という雑誌がありまして、そこに情報が載っていたテーブルトークRPGなどのアナログゲームに興味がわいて、書店に行ったり。どこの書店だったかな......。
――大宮近辺ですか?
いや、御茶ノ水とか水道橋のアナログゲームが置いてある書店まで行きました。まだ日本語に翻訳されていなかった「マジック:ザ・ギャザリング」というトレーディングカードゲームの存在を知って、買いに行ったりして。英語もよく分からないのに「このカード格好いい、すごく欲しい」となるパッケージングだったんです。それで、日本語版が出る前にいちはやくそのゲームを地元の友達に教えて流行らせました。5、6年するとそれが「遊戯王」にとって代わられるという。
――先取りしてたんですね。しかも流行らせたという。
そんなふうにゲームや、いろんな趣味を持っていたので、本ばかり読んでいたわけでもなかったんです。ただ、読書の入り口がライトノベルで、中学生、高校生とずっとライトノベルを読み、なかでも一番すごい衝撃を受けたのは電撃文庫の『ブギーポップは笑わない』でした。
――上遠野浩平さんの。
はい、上遠野さんです。僕はそれまで読書というのはエンターテインメントとしてとらえていた部分があって。「スレイヤーズ」や「魔術士オーフェン」にもシリアスな側面はありますけれど、結構コミカルというか、笑って楽しめる側面が強かったものですから、楽しい時間を過ごすのが最初の読書体験で、本を読むことはそういう娯楽だという感覚が当時の僕にはあったと思うんです。でも『ブギーポップは笑わない』は違った。衝撃的だったのは、そこに自分たちのことが書いてあるというか。当時の高校生の、周囲ともうまくいかないし、社会ともうまくいかないし、学校でもうまくいかないしという一種の閉塞感をずっとモヤモヤ抱えている、そういう感情が書いてあって、そこに自分を見つけたというか。「あ、すごい。俺のことが書いてある」というような感動があったんだと思うんです。
で、すごく感動して、衝撃を受けて、そういうものに出会うとやはり子供だったので「自分もそうしたい」って思うわけですよ。
――といいますのは。
「小説ってすごいんだ、じゃあ、僕もこういうことをしてみたいぞ」みたいな。僕も誰かに「自分のことが書いてある」って思ってもらえるような、感情を揺さぶるようなすごい話というのを作りたいなと言う気持ちになりました。つまり、その一冊との出会いで、「小説家になりたい」って思ったんです。
それと同じタイミングで、「小説をいろいろ読んでみよう」と思って、読み始めたんだと思います。
最近泣いたアニメ作品
――それまで、国語の授業とか作文の課題は好きでしたか?
自分ではあまり憶えていないんですが作文は別に嫌いじゃなかったらしく、母親に訊くと「昔から得意だった」と言うんです。確かに、作文を書いて教室で朗読して褒められる、みたいな流れが気持ち良かったことは若干思い出せる。具体的に何を書いたかは全然憶えていないんですけれど。
――趣味が多いとのことでしたが、アニメとか漫画とか映画とか、他のメディアで夢中になった作品はありましたか。
実は漫画はそんなに読んではいなくて。「週刊少年ジャンプ」を買ったことがないんですよ、僕。
――ええっ? 人生で一度も?
雑誌で読むのではなく、コミックス派なんですよ。僕の世代だと小学校くらいの頃に『ダイの大冒険』とか『るろうに剣心』、大学くらいになると『DEATH NOTE』とかをコミックスで追いかけていました。友達は「ジャンプ」を買ってましたけれど、それを借りて読んでも、連載の途中なので話が分からないと思っていました。
アニメは、高校生くらいの頃に深夜アニメを夜更かしして見ていた記憶があります。僕の場合、アニメの影響はわりと強い気がしますね。写実的なカメラワークというよりはアニメーションで見るようなカメラワークを意識して小説を書いているので。
ただ、もちろん「エヴァンゲリオン」とかは刺さってますけれど、影響を受けているかというとあまり受けていない気がする。なにか、誰か特定の人というよりも、アニメーション文化そのものに影響を受けた気がします。それに、小説を書くことへの影響については、「こういう話作りたいな」とか「こういう演出で小説書けないかな」と思うのは最近のアニメですね。昔はそんな「小説にしてやろう」みたいな意識は全然していないで見ていたので、だからあまり記憶もないんですけれど。今はどうしても仕事の目線でどんな作品も観てしまいます。ピュアな心で見たいんですけれど。
――では、最近見て「これは」と思ったアニメは。
「宇宙(そら)よりも遠い場所」っていうアニメがかなり良かったですね。全12話、まさかの毎回泣く。女子高生が南極に行くという話で、ミステリ界隈でも見た人はみんな泣いています。
――南極に行くまでの困難と闘う姿に泣けるのか、一緒に行く仲間たちとの友情で泣けるのか......。
もう、すべてですね。主人公の一人がまず、南極に行くために100万円を貯めるという......結構コミカルなんですが、脚本がキレキレなんですよ。それで毎回泣く。
――ものすごく興味を掻き立てられました。
いかんな、読書の話を全然していない......(笑)。
ネットで小説を発表しはじめる
――さて、高校時代に『ブギーポップは笑わない』をきっかけに、ご自身でも小説を書きはじめたわけですか。
書き始めましたね。テレホーダイの時代、料金が安くなる23時以降にインターネットに接続して、ホームページを更新して、へったくそな小説を載せ始めました。読んでくれる人もそんなにはいなかったんですけれども。
ちょうど高校生の時にはまっていた趣味のひとつが、ネット上のテーブルトークRPGのサークルでした。あれは会話が主体なゲームですから、チャットでプレイするんです。ゲームマスター役が自分で物語を用意して、その物語を演出しながらプレイヤーの行動に即してアドリブで話を進めていくという遊びです。それを毎晩のように......と言うと言いすぎなんですが、結構な頻度で遊んでいました。僕は文章で状況を説明したり心理描写を挟んでいったりして演出していくことが多く、サークルの親しい仲間たちも負けじと描写を挟んでくるという感じで。僕がゲームマスターをやる時には自分の物語を用意して、どういう謎があって、どういう事件が起きるかを考えました。もしプレイヤーがこういう行動をとったらこうしようとか、こういう危機が起こることにしようというシナリオを事前に用意して、描写を説明してという、小説を書くことに近いような遊び方をしていました。普通の小説も書き始めましたが、物語を書く力とか描写する力みたいなものは、そうした遊びに鍛えられた部分があります。
――同じタイミングで小説をいろいろと読み始めたとのことでしたが、どんなものを読みましたか。
何がきっかけか忘れましたけれど、ミステリにもハマりまして。シャーロック・ホームズなども読みましたが、一番好きだったのはアガサ・クリスティー。
19世紀から20世紀初頭のヴィクトリア朝がすごく好きなんです。あの雰囲気というか文化が好きでホームズとかクリスティーを読むようになりまして、クリスティーの後はジョン・ディクスン・カーとか、いわゆる黄金期の本格ミステリにはまっていきました。その頃は日本の推理小説はあまり読まなかったです。ヴィクトリア朝のような異国の文化だったり、ディクスン・カーの結構おどろおどろしいというか、日本のホラーとはまた違う、海外の怪奇的な表現がすごく好きでした。
クリスティーは王道ですが、やはり『アクロイド殺し』がすごく好き。あとは『ナイルに死す』とか。人間の心の動きや感情を描くのが上手くて、そういうところがトリックに活されている。クリスティーのすごさを思い知ました。
カーは『皇帝のかぎ煙草入れ』でしょうか。これも一種の思い込みを利用している部分がありますよね。すごく奇術的、マジック的な部分があって、はじめて読んだ時はビビりました。人間の、間(ま)を補完してしまう脳の働きとか、心理的な部分をうまく活かしている。ディクスン・カーってマジック的なトリックを書く人ですね。
――ご自身でも書かれていたのも、ミステリだったのですか。
その時は全然ミステリを書こうとは思っていなくて。『ブギーポップは笑わない』のような、悩める少年少女たちの青春小説みたいなものを書きたかったんです。ライトノベルを中心に読んでいたものですから、ライトノベル作家になりたかったんです。だからその文法で小説を書いていたのですが、今にして思うと当時のライトノベルの主流ではない雰囲気だったと思います。今のメディアワークス文庫で出ていそうな感じというか。当時のライトノベルにしては外連味もなく派手でもなく、大人しい小説だったと思います。
――ファンタジー要素がわあるわけでもなく?
ファンタジーも書きましたが、現代日本が舞台の小説が多かったですね。それを電撃小説大賞に毎年送っていましたけれど、今思うと本当に、当時のライトノベルにしてはちょっと大人しすぎたと思います。そんな感じだったので、毎年駄目で。
〈日常の謎〉に出合う
――10代の頃から投稿していたということですか。
そうですね。「ブギーポップ」を読んで自分でも書こうと思って、その翌年くらいに最初に送っています。
――ホームページにも小説をあげていた小説というのは。
短篇でした。長篇を書くよりは短篇を書くほうが全然好きだったし、ホームぺージに上げていたのもショートショートや短篇ばかりでした。
高校時代は、投稿しても落とされてしまうのは、何がよくないのか分かってなかったと思うんです。今振り返れば分かるんですけれど、当時の自分はよく分からなくて、でもまあ、違うことをしないといけないなとは思っていたんです。そんな時に、たまたま同じようにインターネットで小説を書いている人が、日常の謎というジャンルにはまっていて、「北村薫とか加納朋子とか読むといいよ」と言ってくれて、それで北村薫先生の『空飛ぶ馬』を読んだんですけれども、それはもう、痺れました。衝撃を受けました。
当時の僕が受けた印象は、すごく静かで大人しい世界観の枠組みの中で、ミステリ要素という読者の興味を牽引力となるストーリーがあって、それが絶妙な加減でマッチしているということでした。「ブギーポップ」を読んだ時みたいに「自分のことのようだ」と思えることが書いてあって、「自分の小説に足りないのはこれかもしれない」と思ったんですよ。自分の作品も大人しいけれど、そういう読者の興味を引っ張る、牽引力となる要素がなかったんじゃないかと思って、それで「これだ」となって。そこから日常の謎にはまっていきました。当時はまだそんなに書いている人が多くなかったですし。
――まだ米澤穂信さんがデビューする前ですね、きっと。
僕、どうしてそのページにたどり着いたのか憶えていないんですが、米澤さんがホームページで小説を書いている頃を知っているんです。デビューされる前後くらいだと思います。当時、インターネット小説ってファンタジーが主流だったんです。完結できない壮大なファンタジーを書いている人が多くて(笑)、そうではないものを書いている人が珍しかったんだと思います。米澤さんがデビューされた後になって「あ、あのページで書いていた人だ」と分かっただけで、当時は交流も全然なかったんですけれど。
――そうだったんですね。では、学園が舞台の日常の謎ものがあまりない頃に、ご自身でも日常の謎をやってみよう、と。でも、いきなり日常の謎自体を作るのって難しくないですか。何か事件のほうが考えやすそう。
難しくて、それまでの軽いノリでは書けず。高校の終わりくらいに書いた小説はいまいち面白くなかったです。今になると、探偵のキャラクターが弱かったのかなと思いますね。はじめて満足できるものが書けたのは、大学1年生の時の、『午前零時のサンドリヨン』の第一話にあたる作品でした。あれも最初は長篇にするつもりはなくて、短篇で書いてみたという感じだったんです。
――相沢さんは2009年に『午前零時のサンドリヨン』で鮎川哲也賞を受賞してデビューされますが、その頃にもう書かれていたんですね。これは凄腕のマジシャンの高校生の女の子と、彼女に一目ぼれした男の子が学校での不思議な事件を解決していく連作です。相沢さん自身マジックが非常にお上手だと噂に聞いていますが、じゃあその頃にはもうマジックも趣味のひとつとなっていたわけですか。
マジックは高校の終わりくらいに本格的にやりだしたのかな。中学生の時には手品道具を買って種を見て満足するという、よこしまな動機でやっていたんですけれど、高校生の終わりくらいに前田知洋さんという、日本のクロースアップ・マジシャンの方がテレビに出ていらっしゃるのを見たんです。その時のトランプを使ったマジックがすごく不思議で、「この仕掛けのあるトランプはどこで売っているんだ」と調べたら、どんなトランプでもできるマジックの技だと知って。あんなに不思議なのにトランプに仕掛けがないとはどういうことだ、って思ったんですよ。それでいろいろ調べて技のやり方が載っている本を見つけて買いました。「これこれこういうふうにやって、こうすればできる」と手順を解説しているので「いやいや、そんな馬鹿な」みたいに思いながら練習しているうちに「あ、なるほど。いけるかもしれない」と。もちろん本を読んだだけでその通りにやっても下手くそで、かろうじてそう見えなくはない、くらいなんです。それで、「もっと練習したらもっときれいに見えるかも」と思いながら練習を重ねていくうちに深みにはまりました。高校の終わりくらいから人に見せるようになって、大学に入ってからは、いろんな研究室に出入りしてマジックを見てもらっていました。見せたがりだったんです。大学では、名前は知られてないけれど「手品の人」って見られていたと思います。怪しいですよね(笑)。
――興味が向いたことは突き詰めていくタイプですねえ。そしてそれを、小説世界にも取り入れたんですね。
そうですね。趣味をそのまま、小説にも取り入れてみようと思って。ただ、大学に入ってからは小説を書くスピードが落ちてしまったので、『午前零時のサンドリヨン』の短篇を1年に1本ずつ書いていました。
デビュー&ペンネームの由来
――そのまま作家デビューを目指したのですか。
僕、大学を中退しているんですけれど、その頃にも別のすごく深みにはまったエピソードがありまして。何を思ったか、大学生の時に、ゲームを作りたくなってしまったんですよね。
――なんと。アナログゲームでしょうか、ネットゲームでしょうか。
アナログゲーム的なテイストがあるものをブラウザで遊べるようなゲームです。そんなに画面は動かなくていいから、携帯電話の小さい画面でさくっと遊べるようなゲームを作りたいなと思ったんです。アナログゲームや、ボードゲームってあんまり絵的な表現は派手ではないけれど面白い。なら、普通のコンピュータゲームでも、グラフィックス的な派手さがなくても片手間にやるには面白いものが作れるんじゃないかと思いました。そう発想したらいても立ってもいられず、さきほど話したネットのTRPGのサークルにプラグラマーの仕事をしている人がいたので相談したんです。「プログラムをおぼえたいんだけど、どうしたらいい?」って訊いたら「ここのサイトでおぼえて、この本を読んで、こういうのを作ってみたら」と、一通りのレクチャーをしてくれて、今で思うと信じられないくらいのスピードでおぼえました。よくそんなエネルギーがあったな。あのエネルギーがいま執筆にほしいっていうくらい、すごい量のコードを書きまして。
半年でプログラミングができるようになったんですが、結局そのゲームは実現できなかったんです。でもプログラミングのアドバイスをしてくれた友達が「そんなにできるなら」と、プログラムの仕事を紹介してくれたんです。で、「こっちで働くか」と思って、大学を辞めて働き出しました。
――就職難の時代、技術を身に着けてそういう話がくれば、そうしますよね。その間、小説の執筆はどうされたのでしょうか。
大学を辞めてプログラマーとして2年くらい働いていたんですけれども、その間になんとか『午前零時のサンドリヨン』を一応長篇にすることができて、ライトノベルの賞に送ったんですよ。まだライトノベルだと思っていたので。そうしたら、二次選考くらいで落ちてしまい。
――あら。
「絶対面白いからいけるはず」と思っていたのに落ちたので、「もしかしてこれはライトノベルではないのか」って思い(笑)。それで、「ミステリの賞に送るか」って思ったんですよ。でも、ミステリって怖い人ばっかりだからな、みたいな......。
――いったいなぜそんなイメージを......。
でもちょうどその時、鮎川哲也賞の選考委員に北村先生が加わるって知ったんです。「北村先生に読んでもらえるなら、もうどんなに怖くても送ってみるべきかな」と思いました。
――そういう経緯があったんですか。ちなみに「相沢沙呼」はペンネームですよね? よく女性と間違えられると思うのですが、どうしてこのお名前を?
昔からインターネットのハンドルネームが「SAKOMOKO」なんですけれども、その「SAKO」というのを使いたかったというのがあります。「SAKO」自体がどこからきたのかというと、小学生の時に飼っていた犬がすごくもこもこしていたんです。それで、本当は違う名前なのに、家に遊びに来る友達が犬のことを「もこ」って呼んでいて。で、家で小学生4人で「桃太郎電鉄」で遊ぶとき、みんながプレイヤーの名前を4文字で入力する時に、僕はひらがなで「もこもこ」って入れていたんです。
あのゲームでは「貧乏神」というお邪魔キャラクターがいて、そいつが「ルーレット回すね」みたいなことを言うと、名前の文字がくるくると回って、ぴったり元の名前になるように止められたら何百万円もらえるというチャレンジがある。そのチャレンジをした時に、「もこもこ」が「さこもこ」になったんですが、小学生って、よく分からないところで爆笑するじゃないですか(笑)。なぜかその場にいた小学生たちにはそれがすごくツボになり、みんな「さこもこ」「さこもこ」と言い始めて、その後も「さこもこ」と呼ばれるようになり、「もこ」が取れて「さこ」になり。「さこ」と呼ばれるようになってはや10年、みたいな感じで。
日本のミステリを読み続ける
――そういう背景があったとは(笑)。さて、『午前零時のサンドリヨン』を1篇ずつ書いている間の読書生活はいかがでしたか。
やっぱり北村先生から日本のミステリを読み始めました。まず森博嗣さんにすごくはまって、S&Mシリーズ、Vシリーズをずーっと読んでいました。その後ようやく綾辻行人さんにいって、有栖川有栖さんを読んで......。やっとそっちに行ったか、という感じですよね。綾辻さんや有栖川さんで好きな作品というと、もう本当に、代表的な作品になってしまいます。マニアックなことを言いたいんですけれど。
――そうしたものを読むなかで、ミステリにおけるフェアな書き方を学んでいったのですか。
そういえば自分なりに大事にしているミステリのルールとかって、どういうところで鍛えたんだろう......。どこで培ったのか、まったくわかりません。でも、ディクスン・カーとかそのあたりからかな。やっぱりカーは密室を作るのがすごい人だし、密室ってフェアさが大事ですよね。ちょっとでもフェアじゃない記述があると、密室の謎が解かれた時に「そんなもんか」と思われてしまう。
――謎を見せるという点で、マジックとミステリに何か繋がりは感じますか。
そうですね。マジシャンってミステリ好きな人が多いし、マジックをやっていると、どういう要素があると不思議に見えて、どういう要素がないと不思議が損なわれるのかというのを研究しないといけない。その不思議さを成立させる要素を探っていくと、そこはやっぱりフェアさに繋がってくるんです。
――デビューが決まった後、プログラミングの仕事はどうされたのですか。
デビューした後、1年くらいで辞めました。26歳でデビューした後もプログラマーも続けていたら、忙しくて書けなかったんです。自営業だったので、いったん辞めてもプログラムの流行を追いかけてさえいれば仕事にはまたありつけるだろうと思い、とりあえず一度辞めて書くことに専念することにしました。その後もちょっとした案件のものはプログラムを組んだりしてましたけれど。
――デビュー後、多趣味な相沢さんが執筆とマジック意外に、はまっているものとかってあるのでしょうか。
うーん。あ、コーヒーを淹れるのは好きです。豆から挽いて、お湯を何秒上から入れて、2分30秒になるタイミングできっちり250mlになるようにするとか、変なこだわりがあります。
話題作『medium 霊媒探偵城塚翡翠』
――さて、今大変話題になっている『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は殺人事件が起きますし、これまでの相沢さんの作品とはまた違いますよね。推理作家が霊媒師の助けを借りながら事件を解くという......いや、あらすじは何を話してもネタバレになりそうで危険なんですが。なにかきっかけがあったのですか。
一度、より多くの読者にリーチするような、エンタメに振り切った作品を書いてみようかなって思ったんです。これまで書いていた話は、どちらかというと狭い範囲のマイノリティの人たちに深く刺さる作品を書いてきたつもりだったんです。それと、僕は基本的に読書する人たちってマイノリティと思ってきたんですが、そうとも限らないなと思ったんですよ。これまで書いてきた小説は、そっと大切にはしてくれるけれど、「ねえねえ、これ読んでみてよ」とはなりにくいんじゃないかなとも思いました。それで、エンタメを純粋に楽しむ層にも届くような作品を書いてみることにしました。
――そうだったんですか。
マジシャンの前田知洋さんも、いま結構僕と遊んでくれるんですけれど、「演じるマジックをどう選ぶか」みたいなことを話してくれて。より多くの人たちに喜んでもらうマジックを選ぶためにはどうすればいいか、みたいなことですね。話を聞きながら、「そういうふうに真剣に、どういう作風を選んだらどういう人たちに届くかってことを考えたことがなかった」と思って。特定の人たちに深く刺さる話ももちろん大事だけれど、より多くの人に届けるのならば、人に話したくなるような何かのある作品づくりというのを1回やってみるべきかなって。自分らしくない作品になってしまうかもしれないけれど、なんやかんや言っても自分らしさは残るだろうと思ったし、今までやったことのない部分に挑戦してやってみる、というのがありました。
――そう思って、本当にここまで話題になる作品を書けるのがすごいですよね。「このミステリーがすごい!」2020年国内編1位、「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキング第1位、「2019ベストブック」(Apple Books)2019ベストミステリーの3冠達成で、13万部突破ですよ?
本当にありがたいことです。読んでくれないことには何もできないですから。
これは結構スラスラと書けたんです。筆が遅い僕にしてはかなり早く、2か月もかからなかったと思います。担当編集者の河北君からは「『小説の神様』の続篇を書け」と言われていたのに、なにも相談せず、一人で勝手に考えて、プロットを組み立てて、何の事前告知もなく原稿を書いて送りました。読んだ河北君は「これはいけますよ」と言ってくれたんですが、どう宣伝するかで結構時間がかかりましたね。下手したら多くの人には読んでもらえない可能性のあるあらすじとタイトルなので、届くべき人のところに届かない可能性も高かった。読んでもらえたら面白がってくれる人は多いだろうとは思ったんですけれど、本当に、読んでもらえるかどうかが分からなくて。
――装丁も「すべてが伏線。」という帯もよかったですよね。『小説の神様』も5月に映画が公開になるし、お忙しいとは思いますが、いま1日のタイムテーブルってどうなっていますか。
いま、生活リズムが崩壊しきっていて。基本夜型人間なので、夜のほうが仕事も効率がよくてですね、ついつい夜起きて、朝寝るみたいなことになってしまうんです。本当は普通に夜寝て朝起きるのが身体の調子がよいので、それに戻りたい。
――読書はしていますか。
最近はもう、手品の本ばっかりです。手品のいい本ってあんまり翻訳されないので、洋書を読みます。そんな英語は得意じゃないので、機械翻訳を駆使しながら、ちょっとずつ読み進めていくしかできないので、時間がかかります。あと、『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』という漫画がめちゃくちゃ面白いです。交番のおまわりさんの話なんです。
――さて、エンタメに振り切った作品がここまで話題になって、今後どういうふうな作品づくりをしていくか、どう考えていますか。
どうすればいいんでしょうか(笑)。......まあ、『medium』の続篇を書こうという話にはなっています。何パターンかやりたいことはあるんです。
――マジックが上手なミステリ作家といえば泡坂妻夫さんですが、泡坂さんの『しあわせの書』や袋とじの『生者と死者』のような、本自体に仕掛けのある本を作ってみたいとは思いますか?
仕掛けのある本はやりたいですね。袋とじとかになると電子書籍にできないという問題もありますが......。でも、『medium』もマジック的な仕掛けのある本として作ったつもりですし。
――ミステリ以外にも、『小説の神様』のような作家デビューした少年少女の葛藤が描かれてる青春小説があったり、他にもライトノベルなど幅広く書かれていますが、今後もいろいろと書いていきますよね。
そうですね。最初はライトノベル作家になりたかったものですから、あまりミステリ作家になるビジョンが自分になくてですね。一応ミステリ作家としてデビューしましたし、ミステリも読むのがすごく好きなので書いていきますけれど、やっぱりライトノベルを読んで育っているので憧れもあるし、育ててくれたものに恩返ししたい、という気持ちもあります。もちろん青春小説にも挑戦し続けたいです。