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能町みね子「結婚の奴」 世間も自分も疑ってみたら

 誰それが結婚した、との吉報には、「ようやく」とか「もらわれた」とか、結婚の意味や価値を他者が規定する余計な一言が引っ付きがち。喝采の隙間から本音がこぼれ出し、査定が始まる。結婚しない、という明確な意思を持っている人までもが、「未婚」と言われ続ける。とにかく「婚」がつきまとうのだ。

 「男性から女性への性転換者」である著者が、三〇代後半になり、「結婚について考えるブーム」が起き、「自称フケ・デブ専の、心は小松菜奈だと言い張るゲイのおじさん」と恋愛関係のない結婚を決断、二人で暮らし始めた日々を綴(つづ)る一冊。その一行目は「夫(仮)の持ち家についに引っ越した日の夜中、私は水状のウンコを漏らした」と始まる。一人暮らしに飽きたから結婚してみるのはどうか、という不純な動機が、愉快に、猛スピードで具体化していく。

 今、「不純な動機」と書いた。では、結婚する「純な動機」って何なのか。それは世間から要請されたものではないのか。

 著者は、小学生の頃から、世の中に恋愛ソングが溢(あふ)れていることに疑問を持ち、誰にでも恋愛を勧めてくる風潮に強い違和感を持っていた。世間の常識を疑いながら、同時に、そういう常識に染まれない自分の価値観にも疑問を覚えてきた。世間と自分の双方を疑う、というしんどさと向き合ったところ、「結婚」という選択が浮上したのだ。

 同居生活が始まって一週間。帰宅し、家の様子が少し変わっているのを見て、思わず漏らす。「なんてこった。これが生活なのだ」。それでも、「本物の『当然』や『常識』に、私はどうやっても一生手が届くことはない」との考えは残り続ける。

 いろんな結婚の形がある、との声の奥には、まだまだ「普通の結婚」が用意されている。そういう結婚もいいよね、という寛容さって傲慢(ごうまん)だ。そうではない。生きる、暮らすとはどういうことか。その問いを心の中で耕した結果として発芽した「結婚」が、たくましくて素敵だ。=朝日新聞2020年3月14日掲載

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 平凡社・1650円=4刷3万部。19年12月刊行。読者の中心は20~40代。担当編集者によると、「従来の恋愛観や結婚観がしんどかった、という人が多い」という。

>ゲイ男性との「恋愛感情抜きの結婚」を綴った、能町みね子さんインタビュー