このところの深刻なニュースに接するうち、しらずしらずささくれ立つ気持ち。それをちょっと柔らかく解してくれるような本をご紹介したいと思います。きっと皆さんご存知ですよね、角野栄子さんの児童文学『魔女の宅急便』。
著者の角野さんとはあるお仕事でご一緒する予定で、改めて読み返してみて、その世界観にやさしく包まれました。80年代に記され、宮崎駿さんが映画化しています。
魔女として生まれた女の子・キキの成長を描く物語。その描写は、押しつけがましくなく、理屈っぽくなくて、とってもしなやかです。魔女の子は13歳の満月の夜、独り立ちをしなければなりません。生家を離れ、魔女のいない町や村を探して、たった一人で暮らし始めるのです。そのためにキキは、母・コキリさんのもっている魔法を習い、二つの準備をしてきました。一つは薬草を育てて「くしゃみの薬」をつくること。もう一つは、ほうきで空を飛ぶこと。
とうとう、その日がやってきて、キキは相棒の黒猫・ジジを連れ、ほうきに乗って旅立ちます。憧れていた海がある大きな町・コリコに降り立ったキキは、町の人たちの冷たい目に戸惑い、不安や孤独に苛まれ心に壁を作ってしまいます。そんななか、ひょんなことからキキが手助けすることになった、町のパン屋のおかみさん・おソノさんとの出会いから、物語が動き始めます。
この、おソノさんという人がとても素敵な人。泊まる場所もなく、途方に暮れるキキを居候させるのです。その提案に感謝しつつも周囲の目を気にして怖気づくキキに、「あたしはあなたのことを気にいったわよ」と声をかけるおソノさん。心を閉ざしていたキキが、彼女の温もりに触れ、とたんに心を解いていく描写に、胸を打ちます。
その名の通り「魔女の宅急便」として、ものを運ぶサービスを始めるキキ。この本のなかには、彼女が町で繰り広げるさまざまなお話が盛り込まれていますが、とりわけ僕が好きなのは、「腹まき」をいっぱい編むおばあちゃんのお話。電話、コーヒーカップ、やかん。おばあちゃんの家のなかにある品物には、ことごとく「腹まき」が巻かれています。おばあちゃんは言います。「おなかは冷やしてはいけませんよ。(中略)おなかは宇宙の中心ですから」
おなかは宇宙の中心――。「すごい言葉だな!」って思いませんか。考えてみれば、お母さんのおなかで、一つの細胞が赤ちゃんにまで育(はぐく)まれなければ、誰一人、この世の中に生まれてくることはできません。母親のおなかを通過していない人って、男女問わず誰もいないんですよね。おなかは世界の中心で、すべての始まり。思わずジーンとしてしまいました。このおばあちゃんがキキに依頼した「運ぶもの」とは? それは読んでのお楽しみ。
こんな場面も強い印象に残ります。それは、同年代の女の子の詩をキキが盗み見てしまうシーン。キキは決してただの良い子ちゃんではありません。好奇心に溢れるあまり、少しズルい部分もある。でも、そのズルさを正直に認め、盗み見たことを相手に謝る真っ直ぐさを持ち合わせています。
子育てをしていて思うのは、「『悪いこと』を経験してみなければ、それが『悪いこと』だと真の意味で理解できないのではないか」ということです。子どもが今後、何か「悪さ」をした場合、もちろん叱りますが、それによって何を考えたのか、どう思ったのか、聞いてみたい。その上で「二度とするなよ」と諭したい。この場面を読み、改めて強くそれを思いました。経験が、後悔や苦い思い出に変わっても、明日を歩く上での一つの糧になると思うのです。
この本からは、キキのなかで渦巻く、さまざまな感情が、手に取るように伝わってきます。孤独、喜び、同年代の女の子に抱くコンプレックス。男の子が自分をどう見ているかという不安や期待……。そして注目は最終章。キキが久々に生家に帰る時、一年間あれほど待ち望んでいた帰郷なのに心はなぜだか弾みません。自分の中でもはっきりとしなかった理由が、だんだんと形をなしていく。そしてキキはある決断をします。
大人の階段を一歩上がり一年で大きく成長したキキ。母・コキリさんは、キキに若き日の自分を重ね、娘の決断を理解し、温かい言葉で応援する。……ここのシーン、やっぱり僕、わが娘に重ねて読んでしまうなあ。娘の成長を嬉しく思う気持ち。それと同時に感じる、一抹の寂しさ。一言で表せない気持ちになります。
『魔女の宅急便』をはじめ、児童文学の世界には、世代を問わず、忘れていた何かを気付かせてくれるような、不思議な力が宿っている気がします。上橋菜穂子さんのファンタジー小説『獣の奏者』も手に取ってみてはいかがでしょう。運命に翻弄される少女の成長譚を中心に、「人」と「獣」との関わりを重層的に描いた物語です。(構成・加賀直樹)