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塩田武士さん「デルタの羊」インタビュー 「40歳目前でアニメにハマった」作家が描く「日本アニメ」のリアル

文・写真:吉村智樹

アニメに開眼、新しい扉が開いた

――新刊『デルタの羊』はアニメーション制作現場の様子が生々しく描写されていますね。「本当の話なのかな?」と思うほど、アニメを愛するクリエイターたちの想いが現実味を帯びて伝わってきました。

 『デルタの羊』を書くために「鬼滅の刃」のプロデューサーであるアニプレックスの高橋祐馬さんや、「ポプテピピック」などで知られる神風動画の水﨑淳平さんなど、名だたるヒットメーカーたちにお会いしました。取材で得た要素を小説のかたちにまとめるのがたいへんで、立案から発売までに2年2か月も経ってしまって……。そのぶん、満足してもらえる内容になったと思います。

――はじめは「サスペンス小説『罪の声』をお書きになった塩田さんが今度はアニメを題材に?」と、とても意外な気がしました。そして、新境地を切り拓いてやろうという気合いが行間からにじみ出てくるように感じました。

 書いているうちに僕は41歳になり、「これは30代の気持ちのままではいられない。正念場のつもりで取り組まないと書きあげられないぞ」と、力をふりしぼりました。

――この『デルタの羊』では「新世紀エヴァンゲリオン」「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」「プリキュア」シリーズ、「美味しんぼ」、果ては知る人ぞ知る「チャージマン研!」まで実在するアニメ作品が続々と登場します。塩田さんは、もともとアニメがお好きだったのですか。

 いやあ、実は正直に言ってスタジオジブリの作品を鑑賞するくらいで……。アニメをしっかりと観はじめたのは、『デルタの羊』を書こうと決めてからでした。ですので、本格的にアニメにハマったのは40歳を目前にしてからなんです。

――『デルタの羊』に取り掛かるまで熱中した作品がなかった塩田さんが四十代でアニメをご覧になって、どのような感想をいだかれましたか。

 めちゃくちゃ面白かった! 「進撃の巨人」なんて、「すごいやん! なぜ今日まで観なかったんだろう」と後悔しました。みんなが熱狂する理由がわかりましたよ。「鬼滅の刃」も、再興へ向けて尽力されている京都アニメーションの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も、ドラマや色彩が素晴らしくて感動しました。自分のなかの新しい扉が開きましたね。「エンタテインメントっていいな」と改めて思いました。

「アニメ界の闇を暴こう」と目論んだが……

――アニメの熱心なファンではなかった塩田さんが、なぜアニメ界を舞台にした小説を書こうと決めたのですか。

 噂を耳にしたんです。「アニメ作品の製作委員会には黒幕がいて、儲けたお金をアニメーターに分配しないのだ」と。それゆえにアニメーターの労働条件が悪いらしい。吸い上げたお金は、いったいどこへ集められ、どこへ消えてゆくのか。そこは小説になるんじゃないか、そう考えたんです。ですから、はじめは『アニメ界の闇を暴く社会派小説にしよう』と」

――ええ! 意外です。塩田さんは社会派小説を得意とされていますが、とはいえ『デルタの羊』は、決して黒い内容ではないですよね。いけすかない人物は登場しても、悪として描かれているわけではありませんでしたが。

 そうなんです。30名以上のアニメ業界関係者を取材し、さらに新聞記者時代の経験を活かし、元・関係者への聞き込み調査も試みました。さまざまなルートをたどり、ウラ取り(事実関係の確認)もしました。ところが調べても調べても、吸い上げたお金なんて、どこにもない。そもそも儲け自体が出ていない。僕が調べはじめた当時はワンクール(3か月)に70本近いテレビ放映作品がつくられていたのですが、ほとんどが赤字だったんです。基本的に儲からないんですよ、アニメ界は。噂話と実態とずれていたんです。

――予想に反してクリーンな世界だったのですね。

 「君の名は。」級のヒットがあると儲かるのですが、あの作品ほどの当たりはそうそうない事例で。つまりアニメ界は儲けを第一に考えている世界ではなかったんです。じゃあ、なぜみんなアニメを作るんだろう。取材してわかった結論は、「アニメが大好きだから」。そのような、とてもシンプルな結果に落ち着いたんです。愕然としましたよ。「そんなピュアな世界があるのか」って。

――長く新聞記者をしていらして、これまで反社会的な危ない現場へも果敢に踏み込んでこられた塩田さんにとって、そのウラオモテのなさは逆に衝撃ですよね。

  アニメーション協会の会議にも出席したんですが、新しい技術についてみんな活発に意見交換をしていて秘密がない。「中国の産業スパイが日本のアニメ技術を狙う」という設定も考えたのですが、そもそも動画の作成は中国へも外注しているし、内緒にしようがない。本当に風通しがいい世界だったんです。

――塩田さんがこれまで培った劇作のノウハウが通用しないとは。シークレットな部分がないがゆえに小説家にとってアニメ界は手ごわい存在なのですね。

 アニメは独特の世界でした。「独自通貨があるのか」と思うほど、小説界とは違っていました。単純に羨ましくもありました。

――従来の自分の方法論をくつがえさないと書けないですよね。

 取材した帰りの新幹線のなかで、「……できん」とうなだれました。「産業スパイなんかおらへんやん」と。出版社に企画が通っている以上、アニメを題材にしたおもしろい小説を絶対に書かなければならない。だんだん腹立ってきましてね。「アニメ界、なんでいい人しかおらへんねん!」って。

ひたすらアニメ業界の「リアル」追った

――どのようにして、悩みを解決されたのですか。

 嘘はつきたくないので、はじめに自分で「こうだ」と決めた設定は、すべて捨てました。そして、とにかく取材をしよう、知らないことを教えてもらおうと。「身を預けるしかない」と、ひたすら関係者へのインタビューを重ね、手描き、完全デジタル、CG、VRなど、それぞれの現場を見学しました。おかげで録音データを書き起こしたプリントアウトだけでも高さ10センチを超えました。そうしてヒアリングを繰り返すうちに、次第に皆さん「神と呼ぶにふさわしい凄腕のアニメーターの元で仕事がしたい」という共通する感覚がある点に気がついたんです。

――『デルタの羊』でも線画や背景画のカリスマたちが重要な位置にあり、クリエイターたちはそこへ集まってきますね。

 この本のタイトルにもしたのですが、羊飼いと羊の関係に近いですね。ならば「羊飼いに匹敵する天才アニメーターたちが社会情勢に翻弄されてゆくストーリーがリアルなのでは」と、少しずつ展開が見えてきました。

――確かに読んでいて、アニメに命を懸ける者たちが社会の動きや経済状況、デジタルの進化などのなかで悩んだり苦しんだりしながら揺れ動く姿が真に迫っていて、「アニメ界の闇を暴く」設定より、ずっと魅力的に感じました。二転三転どころではない先が読めぬ逆転の連続に、ぐいぐい惹きこまれました。

 流れや事実に身を任せることで文章が生まれるし、展開が見えてくるケースってあるんだなと、改めて勉強になりましたね。

――ということはフィクションではあるけれど、実際のエピソードがかなり盛り込まれているのですね。

 そうなんです。たとえば『デルタの羊』には元・板前というアニメーターのエピソードが登場します。CGスタジオの方から「CGアニメーターに転職した人に、元・板前さんが3人いる」と聞いたんです。魚をさばくときに立体構造を意識したり、空間把握能力が優れていたりするんじゃないですかね。

――「板前さん、アニメーターに向いている説」、おもしろいですね! あと、「絶許(ぜつゆる/『絶対に許さない』を略したネットスラング)」など登場人物のセリフが本当っぽくて「言いそう言いそう!」と感じました。

 先ずオタク用語の資料集をつくり、セリフに当てはめてゆきました。これに時間がかかったんです。書いたあとは完全にオタクな編集者がいたので、登場人物の言葉遣いなどをチェックしてもらいました。オタク用語などはニュアンスを間違えると本当に恥ずかしいので。

――なるほど。セリフひとつひとつにそこまで真実味を持たせるからこそ、登場人物に血が通っているように感じるのですね。

 リアリズムを大事にしたいんです。以前にボクシングの小説を書いたときもセコンドのそばにつきっきりで、言葉をぜんぶメモっていました。僕の小説は一貫して「虚実」をテーマとしています。実際に起きた出来事や放たれた言葉を尊重して小説に採り入れるからこそ、虚ろな世界が描けると考えているんです。

主人公の気持ちになるため自らも恐怖体験

――『デルタの羊』では主人公のアニメーター文月隼人(ふづきはやと)が大空を飛翔するシーンをアニメで表現するために、自分自身が身体を張って飛行に近い恐怖体験をするシーンがありました。リアリズムにこだわるということは、まさか塩田さん自身もおやりになったのでしょうか。

 はい。ひとりでUSJへ行って、スリル満点だと評判のジェットコースターに乗りました。自分自身が乗らないと、そのシーンが書けないから。ただ絶叫マシンは本当に苦手で……。実際、コワすぎましたね。けれどもコースターが急激に落下する瞬間、カメラで連写する感覚で画像が脳内に記憶されていったんです。「あ、これは書ける!」。そう思いました。

――観覧車に乗って密談するシーンも臨場感がありました。観覧車一周という時間制限があるのがリアルですね。

 あのシーンも実際に自分が観覧車に乗り、動画を撮影しながら「一周でどこまで会話ができるのか」を試しました。そういう作業ばかりしているから、小説を書く時間が一作ごとに長くなってきてしまって(笑)。

――リアリズムという点では、新型コロナウイルスがアニメ界に大きな影響を及ぼすシーンも多々あります。書きはじめの頃には「ウイルスにおかされる」なんて設定はなかったはず。大幅に書きなおされたのでは。

 そうなんです。いったん書き終え、最後の朱入れチェックをする段階に入った今年の1月に新型コロナウイルスの噂がささやきだされました。さらに2月になるともう無視できない状況に。そうして、小説のなかでも新たにコロナの要素を盛り込む必要がうまれたんです。

――おお、そんなギリギリの段階に……。でも、それだとストーリーが変わってしまいますよね。あくまでフィクションとして「設定に新型コロナウイルスの要素は入れない」という判断はなかったのでしょうか。

 すでに2021年の描写も入っていたので、嘘をつけなかったんです。「コロナをはずしたら現代小説として成り立たん!」って。虚構だからこそ事実に対してのリスペクトが必要だと考えているので、無視するなんて自分のなかでありえなかった。ですので、当初は6月に発売する予定でしたが、出版社に「4ヶ月ずらしてください」と、お願いしました。声優さんがコロナでどう困っているのかなど追加取材をする必要がありましたから。

――ええ! 書き終えていたのに、さらに取材を追加したのですか。

 はい。そしてやはり、コロナが声優さんへ及ぼす影響は甚大でした。どんなにデジタル技術が進化しても、アフレコだけは、にっちもさっちもいかない。リモートでアフレコはできないようなのです。ましてや自宅からなんて無理。それもあって、アニメ作品の完成が放送に間に合わないという事態も実際に少なからず起き、その点も小説に盛り込みました。

作中小説が好評、でも内心は複雑

――『デルタの羊』の大きな魅力は、なんといっても多くの若きアニメーターたちが心酔し、「自分の手でアニメ化したい」と夢見させた伝説のSF小説『アルカディアの翼』が実際に掲載されている点にあります。作中小説『アルカディアの翼』は主人公の青年が監視の目をかいくぐりながら覚悟を決めて大空を飛翔するシーンが素晴らしかったです。空の爽快な青さが想像できました。

 とにかく「青い空を飛ぼう」と。近年の日本は閉塞感に包まれていて、みんなもうどこかへ飛び出したいのではないか、そんな時代の空気を感じていたのです。ですので、ファンタジーの力を借りて、「鬱屈した現状から飛びだそうぜ!」という気持ちを込めました。とにかく一点集中、全集中で書きました。

――小説のなかにもう一本「伝説の小説」を挿入するのは、そうとうなプレッシャーだったのでは。

 そうなんです。僕はファンタジーであってもリアリズムがないと書けないんです。飛ぶためにはちゃんと事前にアルカディア(背負うと飛行できるマシン)を太陽光で充電しておかなければだめだ、というふうに。飛行に失敗すれば死ぬかもしれない。けれども、論文があるから理論上は飛べるはずだ。そういう設定をおざなりにはしたくなかったんです。

――読んでいて『アルカディアの翼』という小説の単行本が本当にどこかに存在するのでは、と思ったほどリアルに感じました。

 SNSにも「アルカディアの翼で一冊、読みたい」というコメントがあって……内心は複雑でしたね(苦笑)。でも、作中作もいい加減には書いてないんだと伝わったのだと思います。ありがたいです。

40歳を過ぎて、これほどアニメにハマるとは

――さて、ひたむきにアニメと向き合った小説をついに上梓されたわけですが、塩田さんのアニメ観は変わりましたか。

 圧倒されました。アニメを愛する人たちの技術と想いに。「人間は強い。必ず乗り越えていく」。それがこの本のテーマなのですが、このテーマは僕がアニメの関係者への取材を通じて学んだことでもあります。

――すっかりアニメファンになられたようですね。

 40歳を過ぎて、アニメにこんなにハマるとは思いませんでした、12月から放映が開始される『進撃の巨人 The Final Season』がどうなるんだろうと、それがもう気がかりで気がかりで。『進撃の巨人』には立体機動装置という対巨人歩兵用の装置がありまして、これを使う際のカメラワークがもう素晴らしくて……(と、熱心にアニメの話を続ける塩田さんでした)。

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