奥浩哉が原点の「リアルな性転換」に改めて向き合う「還暦姫」(第156回)
筆者は「週刊ヤングジャンプ」(集英社)に掲載された奥浩哉のデビュー作『変』をリアルタイムで読んだことがある。
1988年の「ヤングジャンプ青年漫画大賞」に準入選した30ページの短編で、後に全4話の『へん』にリメークされたり、出世作となった『変[HEN]』という長編もあったりするので非常にややこしいのだが、「ヤンキー少年と美少年のラブコメ」を描いた『変[HEN]』とはまったく異なり、男子高校生・鳥合(とりあい)が性的接触によって感染する奇病で女性になってしまうSFコメディーだった。今でも奥浩哉短編集『黒』で読むことができる。
このデビュー作について、奥は「リアルな性転換を描きたかった」とインタビュー(プロの漫画家さんに聞く30の質問箱)で語っている。「ある朝起きたら突然女性になっていた」というありがちな描き方ではなく、鳥合は何日もかけて少しずつ女性化していった。まず、体毛が抜ける。続いて胸が膨らみ始め、ペニスが小さくなる。全身が痛み、背が低くなる。声が高くなり、顔が女らしくなる。巨乳になり、女性器ができ、月経が始まり、最後は妊娠までしてしまう。主人公が性転換するマンガは以前からあったが、ここまで細かくリアルに「肉体の変化」を描いた作品は珍しかった。
今年「ビッグコミックスペリオール」(小学館)で連載が始まり、5月末に第1集が出たばかりの『還暦姫』は、自身も来年還暦を迎える奥が「引退作」と公言する話題作だ。
還暦近い独身男ばかり6人が暮らすシェアハウス。全員オタクで、毎晩ファミレスでオタク話を繰り広げては盛り上がっている。マンガやフィギュアで埋もれた彼らの部屋が描かれた第1話では「50代オタクの解像度が異様に高い」ことでも評判を呼んだ。
ある日、リーダー格のテラさんが300万円を投じて、中国で出回っている最新の整形薬を入手する。年齢も性別も関係なく、飲むだけで「若い美女に変身できる」という怪しい薬だ。「若い女の子一人いるだけで毎日の暮らしが変わると思わない?」というテラさんの誘いに応じ、彼らはロシアンルーレット方式で1人だけが薬の入った水を飲むことに。ネタバレになるので名前は伏せるが、薬を飲んだ“ヒロイン”は本当に若い女性になってしまう! “ヒロイン”に選ばれたのは6人の中でもとりわけ意外な人物だった。
薬を飲んだ翌日、体調の変化は発熱から始まった。次の日には体毛が抜け落ちる。やがて全身の痛みに襲われ、背が縮むとともに20代に見える青年に(この日の尿が真っ白だったのは筋肉や骨のたんぱく質が大量に分解されたのだろう)。ペニスが消え、胸が膨らみ、地味顔ながら若い女の子になる。当初は期待外れのルックスに落胆されていたが、日が経つにつれて徐々に目鼻立ちが整っていき、ある朝ついに蝶が羽化するように「絶世の美少女」に! 肉体の変化プロセスは『変』と同じだが、顔まで別人に変わるところが大きく違う。また、若返ってから女性化し、最終的に美少女になるまでに、髪が肩まで伸びるほどの時間がかかっている。これこそ「リアルな性転換」だろう。
街を歩けば誰もが振り返り、電車に乗れば痴漢にもあう。“ヒロイン”がいくら「中身はおっさん」(文字通り)と言い張っても、内面に興味を持つ者などいない。この辺りも実にリアルで考えさせられる。地味顔だった当初の“ヒロイン”に恋をしていた50代童貞の人物をはじめ、平和だったシェアハウスの人間関係は今後どう変化していくのか? これからどんな事件が起こるのか? 先の展開がまったく読めないのがすごい。
40年近く第一線で活躍してきたキャリアで磨き抜いた技術と、自身と同世代のキャラクターを使って「原点回帰」した本作からは、奥浩哉の並々ならぬ気合いがうかがえる。同世代の筆者としても、最後までしっかり見届けたい。