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農文協・農業書センター(東京) 牛の結び方から百姓一揆まで、神保町の中心で叫ぶ「農! と言える日本」

「食べ物にちなんだ書店を取材しているなら、うちにも来てみないか」

 昨年の暮れ、友人のりっちゃんからこんなDMが届いた。彼女が働いている農文協・農業書センターは農業書の専門書店で、全国の農家で読まれている「月刊 現代農業」の版元・農山漁村文化協会(農文協)が運営している。今から15年ほど前の話になるが、食べ物にちなんだ雑誌の編集者だった頃、よくお世話になっていた雑誌だ。

 これまで果物甲殻類野菜のお菓子を店名にした本屋を訪ねてきたが、真打ち登場といった感じがする。年が明けたある日、店がある神保町に向かった。

野菜の本と野菜のタネが一緒に並ぶ

左下の方に赤字で「タネ」とあるのがおわかりいただけただろうか。 

 以前は神保町交差点の、岩波書店ビルの隣にあったが、九段下方面に移転したという。古書店を眺めながら歩くこと約5分。某チェーン系カフェが入るビルの2階に、農文協・農業書センターがあった。

 店に向かう階段の入口に、オレンジ色に赤い字で「伝統野菜のタネあります」と書いてあった。た、タネ! 今までの書店でも色々なグッズと出合ってきたが、タネは初めてじゃなかろうか。

店長の荒井操さん(右)と、谷藤律子さん(左)。 

 2022年に「現代農業」が創刊100周年を迎えたという記念パネルを読みつつ階段を昇ると、店長の荒井操さんと、りっちゃん=谷藤律子さんが出迎えてくれた。

 荒井さんによると、店がオープンしたのは1994年で、当時は大手町のJAビル内にあった。2014年に神保町に移転したものの、耐震性の問題から入っていたビルの解体が決まり、現在の場所に再移転したそうだ。旧店舗にも何度か行っていたが、広さは同じぐらいだろうか?

総合書店のような佇まいなのに、農に関する本ばかり。

「それが、以前に比べると約3分の2の広さになってしまって。現在は約40坪ぐらいなんですよ」

と、荒井さんは言った。

 94年と言えばバブル崩壊後とはいえ、まだまだ軽佻浮薄な空気が漂っていた時代。なぜ農業書専門書店ができたのだろう。

「その当時からすでに『地域から本屋がなくなりつつある』と言われていたのですが、『農村は文化の担い手である』という思いのもと、農業専門書店を作ろうと思い至ったんです。原則、農業に関する本を並べていますが、農と言っても畑作りから料理レシピ、林業や畜産や漁業と、多岐にわたっています。日本国内で出版されているのものであれば、地方の版元のものや自費出版まで置くようにしています」

 そう語った荒井さんが農文協に入社したのは、1980年のこと。実家が畜産業を営んでいる荒井さんは、農学系大学に進学していた。とはいえ次男だったため、家業を継ぐ必要はない。出版に興味があったことから、農文協を志望したそうだ。

「農から離れたいと思いつつも、戻ってきてしまった感じでしたね。入社後10年ほどは出版営業をしていて、全国の生産農家を巡っていました。農家の1日はとにかくやることが多くて忙しく、『ゆっくり本を読む時間などない』という方も多いため、どうしたら読んでもらえる本や雑誌を作れるのか。読者の声を聞き取るのが、その頃の仕事でしたね」

 2011年に農業書センターに異動になり、以来店長をつとめている。一方の谷藤さんは本の通販部門を担当していたが、2014年に移転した際に人手が足りなくなったことで、現場を任されるようになった。

「それまでもちょこちょこ手伝いには来ていたのですが、いざ書店員になってみると、オフィスで働くのとはまるで違いますね」

 そう言って笑った彼女は、現在も通販サイトの「田舎の本屋さん」の担当も兼任している。この日も、全国から集まった注文を送る作業に忙殺されていた。

初めて見る名前も多い、伝統野菜のタネ。いつか育ててみたい。 

農は田畑だけではない。畜産も狩猟も

 ひとことで「農」と言っても、一体どんな本があるのだろう? 現在3万冊ほどの在庫があるという棚を、ざっくりと見渡してみる。

 入口すぐの位置にあるのは日本農業新聞に書評が掲載された本と、現代農業のバックナンバーだが、なかには20年以上前の号もある。さすが、版元ならではだ。そのすぐ近くには、私がDANROというサイトで執筆していた、世界のかわうそを探す連載「かわうそ一人旅」で大いに参考にした、『聞き書 アイヌの食事』 (農文協)もあった。この連載、執筆者本人は非常に燃えていたのに、サイト終了とともにお蔵入りになってしまったのだ。なぜだ……。

聞き書きシリーズは、47都道府県すべて&アイヌ編の在庫アリ。

 切ない記憶を思い出しながら、さらに棚を見渡す。すると目立つ場所に『イチからわかる 牛の放牧入門』(農文協)、『小さい畜産で稼ぐコツ』(同)、そして『牛の結び方 増補版』(酪農学園大学エクステンションセンター)などが面陳されていた。いずれもかわいい表紙イラストが特徴だが、『牛の結び方』の牛は、リボンでおめかししているワケではない。牛を引く際のシチュエーション別に、どのように紐をかけて結べばいいのかについて、イラストで紹介する本なのだ。

 さらに奥に進んでいくと、狩猟に関するコーナーが。賢そうな犬が表紙の雑誌「けもの道」は狩猟専門誌なのだが、実は今日、初めてその存在を知った。確かに狩猟は今、注目されているけど、専門雑誌まであるとは。ふと顔をあげるとその上には、食べ物雑誌の編集時代に一緒に全国を飛び回っていた三好かやのさんによる、猟師の体験談をまとめた『私、山の猟師になりました。―一人前になるワザをベテラン猟師が教えます!』(誠文堂新光社)もあった。かつての仲間の仕事に触れて、今度は胸が熱くなる。 

『牛の結び方』は、牛を結ぶ機会はなくとも手に取りたくなるカワイさ。

 ここに来れば農に関する本が手に入ることから、ふらりと立ち寄る人もいるけれど、目指してやってくる人が多いと荒井さんは言う。中国や韓国、台湾など海外からの来客も多いのが特徴だ。

「昨日いらしたのは御年80歳の方でした。今は東京にお住まいですが出身地の信州で、ブルーベリー栽培を始めたそうで、ジャムに加工して道の駅で販売したいと話していました。こういうお話が聞けるのも、楽しみの一つです」

 食料自給率わずか38%の日本。100%と言われるコメだって、育てるための肥料やエネルギーなどは、外国に頼らざるを得ない。そんな状況であっても、色々工夫しながら身近な場所で農業を続ける人たちを応援したい。そんな思いで荒井さんは日々、店頭に立っているようだ。

農民は圧政に抵抗していた

「こんな本も置いてあるんですけど」

 谷藤さんが手招きする先にあったのは、『図説 日本の百姓一揆』だった。ひゃ、百姓一揆の本があるとは……。教科書や学習参考書をおもに刊行する「民衆社」という出版社だが、その名も一揆にふさわしい。そのすぐ隣には『言いなりにならない江戸の百姓たち 「幸谷村酒井家文書」から読み解く』(文学通信)なる本もある。

 江戸の農民たちは、理不尽なことがあれば訴訟を起こしていたという。年貢の取り立てでひたすら締め上げられていたイメージが強かったけれど、黙っていられないことには毅然と立ち向かっていたようだ。

土壌と決して無縁ではないから、原発事故関連の本も。

 在庫のほとんどが農業関連ながらも、レジのすぐ脇には内山節や藤原辰史、内田樹らの本と並んで、「沖縄」や「政治・格差」、「民主主義」や「ヘイトスピーチ」関連本のコーナーもあった。このあたりのセレクトは、谷藤さんに任されているらしい。

 個人的にも興味深いものばかりだが、なかでも人気なのはフランスの作家、ディディエ・デニングスの絵本、『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』(解放出版社)だと教えてくれた。障がいを持つ妹がいるドイツ人の少年が、ナチス・ドイツによる弾圧や支配を目の当たりにしていく物語だが、農業に関係あるの? と言われることはないのだろうか。

時事問題や社会について考えることができる本も、なかなかの品揃えに。

「農民の歴史は、実は抵抗の歴史でもあるんです。一揆の本を見てもわかるように、日本人はずっと、圧政に戦ってきました。政治や社会は人々の暮らしと切り離せないし、農村と民主主義は深く結びついています。すべてが、地続きなんですよね」

 今自分が生きている世界と、自分を生かしてくれる食べ物は、切っても切れない関係にある。農業政策が失敗すればそこに住む人たちは飢えてしまうし、生きること自体が難しくなる。一揆どころか、もはや一気飲みもできない、いやしないお年頃になったし、農に関する記事は10年近く手掛けていない。そんな私にとってもここに並ぶ本は、ただ興味深いだけではなく、どこかでちゃんとつながっているのだ。

 これまで訪ねることがなかった専門書店、今後もあちこち行ってみたい。そんな気持ちになったところで、食べ物にちなんだ書店探訪は、ひとまずこれで締めくくり。次回は久々に、地方に行ってみようと思う。

(文・写真:朴順梨)

荒井さんと谷藤さんが選ぶ、農と抵抗を知るための3冊

●月刊「現代農業」(農文協)
昨年、創刊100周年を迎えました。コンセプトは「農家がつくる総合雑誌」。営農技術や暮らしの知恵、農産加工・地域づくりにと、幅広い情報が満載です。家庭菜園や移住に関心のある方にもおすすめです。

●『武士に「もの言う」百姓たち 』渡辺尚志(草思社)
重い年貢をとられても、武士にはひれ伏し従うだけ。いよいよとなれば一揆して結局弾圧される。そなイメージを持っていませんか。江戸時代の百姓はちゃんと武士を相手に裁判で闘ったのです。武士は戦で恨みをはらしますが、百姓は戦ができません。そのかわり法廷で命がけで闘います。今で言う非暴力不服従ですね。彼らは決して「もの言わぬ民」ではありませんでした。

●『非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ』飯田未希(中央公論新社)
昭和の女たちはひたすら夫や子のため国のため、つましく健気に働いてきた…なーんちゃって。
もちろんそんな面もあったでしょうが、ここに登場するのは、家族に食わせる竈の薪をちょろまかしてでも私はパーマをあてたいのよ!という普通の女たちの姿。「おしゃれがしたい」は自分自身を生きること。令和の私たちも熱く励まされます。

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