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「コロナ禍読書日記」 人を決めつけずに社会を作る 作家・星野智幸さん

麺類日本料理「美々卯」京橋店の前に掲げられた「閉店のお知らせ」=5月22日、東京都中央区

 私はゾンビ映画を好きなのだけど、ゾンビ映画の世界の原則は、「怖いのはゾンビより人間」である。ゾンビによって不安と恐怖に駆られた人間たちが、一致団結してゾンビ禍に立ち向かうのではなく、互いに醜悪ないがみあいを展開するのだ。

 新型コロナウイルスが猛威を振るう世を生きながら私は、まことに怖いのはウイルスより人間だと痛感させられている。

不安と自粛警察

 この状況で私が無性に読みたくなったのが、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』。ソウル近郊の街を舞台に、約五十人の人生の一コマを描く。

 五十人それぞれが視点人物となった一編一編はごく短いが、人物は互いに連関しあい、今主人公だった者が他の人物の物語では脇役となる。そして、立場によって同じ出来事が違って見えてくる。誰が一番正しいといった正解はなく、どんな困った行動や出来事でもそれぞれの事情と理由があるということを、肌感覚で納得させてくれる。

 ごく控えめな言葉で各人の心の機微を絶妙に描き分けるチョン・セランの筆致は、ため息が出るほどリアルで美しい。

 日本では例えば、他人の行動を過剰に批判する、自粛警察なる現象が起こっている。行き過ぎではあるのだが、もしお互いの事情がわかれば、同じ不安と恐怖がそれぞれの文脈で違った行動として現れているだけだと理解ができて、緊張は少し和らぐかもしれない。

男らしさの弊害

 そうした極端な差別や排除の行動が目立ち始めているが、じつはそれらの問題はすべてコロナ禍以前から存在していた。

 問題の正体を教えてくれるのが、まずレイチェル・ギーザの『ボーイズ』。著者はレズビアンとしてパートナーを持ち、養子の男の子を育てている。性的に多様な環境で育っているはずの息子が、成長するにつれ「男らしさ」に染まっていくことに驚き、それがどこから来るのか、観察し調べ考えたのが本書。

 一ページ読むごとに私は拘束衣を脱がせてもらうような解放を味わった。男は自然と男になるのではない。本書のケースでは、学校の友達やメディアを通じて、男らしさの文化を吸い込んでいく。幼児期には普通だったフラットな友人関係が次第に作れなくなり、力関係の上下が重視され、攻撃性を帯びていく過程が、丁寧に実証される。

 コロナ禍で明らかになったのは、この社会がいかに、困っている者たちの声を聞かず、力のある者が自分の都合のみで強引にことを進めるばかりで、古いやり方を変えようとしないか、という悲しい事実だ。このやり方こそが、「男らしさ」の根幹をなす沽券(こけん)至上主義である。

破滅避ける知恵

 雨宮処凛の対談集『この国の不寛容の果てに』が強く批判するのは、生きている価値のある人間かどうかを、効率と生産性という言葉で線引きする社会である。「命の選別は『しかたない』のか?」という帯の問いは、コロナ禍で食べていけなくなる人が続出している今まさに突きつけられている。

 感染拡大を防ぐために人との距離は開くばかりだが、それは「人を見たらウイルスだと思え」という不信にもつながり、巨大な排除に発展しかねない。本書で何度も言及される、当事者研究とオープンダイアローグという活動は、コロナ後の社会を作る鍵となるだろう。その真髄(しんずい)は、「人を決めつけない」という姿勢にある。相手を理解しきることは不可能なのだから、ある程度は努力しても、それ以上はわからないものとして受け入れる。ときには距離を取る。自分の基準を押しつけないし、相手からも押しつけられない。

 それを驚くべき形で実践しているのが、小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』に登場する、香港のタンザニア人商人たちだ。容赦ない騙(だま)し合いのアングラ経済の世界で、どんな仲間も信用しない、けれど助け合う姿が、活写される。互いに踏み込みすぎず、貸し借りの感覚を曖昧(あいまい)にすることで、力関係を対等に保ち、だからこそ機能する助け合いのシステムを築いている。いがみあって破滅に向かうのを回避する知恵も、人間にはあるのだ。=朝日新聞2020年6月6日掲載