編集者になったのは、偶然に過ぎない。ただ、大学ではそれまでの勉強とは異なる学びに感化され、卒業後も知的なものに触れ続けたいと思っていた。『職業としての学問』は、そんな思いのなかで初めて読んだ。
講演がもとになった100頁(ページ)に満たない作品ゆえ、簡単に読めると挑んだものの、ピンとこなかった。第1次大戦後の混迷に動揺するドイツの学生を前に、社会学・経済学の泰斗ウェーバーは、学問に臨む心構えや学問固有の特徴、その役割と限界などを、様々な事例や古典を引いて縦横に語る。学問を知らない私には、よく分からなかった。
それならばと、最初の職場の創文社に入社後、毎年一度は読むことにした。学術書の執筆者に伴走して本をつくることが編集者の役目である以上、学問とは何かを知りたかった。
読み続けるうちに、理解が深まっていった。学問は「つねに進歩すべく運命づけられ」、「たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になる」人こそが担い得る。『平和構築と法の支配』の篠田英朗(ひであき)さんや『国家・教会・自由』の福岡安都子(あつこ)さんらと本づくりをするなかで、それを実感した。「煽動家(せんどうか)は教室の演壇に立つべき人ではない」ことは、学問と政策を峻別(しゅんべつ)し「事実の確定」に努める学者との会話をつうじて、腑(ふ)に落ちた。
年越し前の静かな時間の読書習慣は、いつの間にかなくなった。学問の意味を情熱的に説き明かしたこの作品は、駆け出し編集者が自らの針路を確認する、灯台の明かりであった。=朝日新聞2021年1月13日掲載