目標とするECDと小西康陽
――アルバム「REFLECTION」と同日に出版される『トーフビーツの難聴日記』のゲラを読ませていただきました。tofubeatsさんは2015年にご自身の会社・HIHATT(ハイハット)を立ち上げましたが、創作以外にも、サンプリングのクリアランスや楽曲の権利処理、契約書の内容を弁護士さんに相談したりといろんな実務を並行されているんですね。
フリーランスの方だと確定申告とかされますよね? 少し前までは僕も自分で青色申告の書類を書いてたんですよ。あれ地獄ですよね。それとそんな変わんないです。それに会社化すると公的にいろんなサービスが受けられるから。無料で弁護士さんに相談できたり、確定申告を手伝ってくれる税務署の会に参加できたり。もっと早く会社を立ち上げればよかった。
――アーティストの実務ってすごく興味深かったです。「スタッフの方がやってるのかな」と思ってたし。
この日記はもともとアルバムのブックレットに載せるライナーノーツ用に書いていた文章なんです。日々起こったことをつらつらと書いていると自ずとそういう実務的なことも出てきちゃうんですよね。そこから何かを感じることもあるし。でも書いてたら10万字を超えちゃって。もうブックレットには収まりきらないなと思って、この本の編集をしていただいたぴあ編集部の和久田善彦さんに連絡したんです。和久田さんはものすごく前に「本を出しませんか?」と僕に声をかけてくださった最初の方なんです。
――なるほど。だから「REFLECTION」と『トーフビーツの難聴日記』は同時発売なんですね。今日はそんなtofubeatsさんにお気に入りの本を紹介していただきます。ちなみに読書はお好きですか?
常に読んでますね。僕が行ってた中学に読書科という授業があったんですよ。毎日10分間読書する時間があって、「今日はどこからどこまで読みました」ということを京大式カードにメモしていくんです。
――京大式カード……?
(民族学者の)梅棹忠夫さんが『知的生産の技術』で提唱された情報記録ツールです。中1で京大式カードをドサっと買わされて、卒業までそれにリポートを書いたりするんです。あと日本十進分類法も教わりました。
――日本十進分類法……??
図書館に行くと本の背に数字を書いたシールが貼ってありますよね。あれって実は「0」は百科事典、「1」は哲学や心理学、みたいに数字で本の種類を表しているんですよ。逆に言えば、どんなに膨大な書庫でも日本十進分類法さえ知っていれば、自分が読みたいジャンルをすぐに見つけることができる。うちの中学は「本を読むのはめっちゃ大事や」という学校で、中1で図書館の使い方、資料の扱い方をめっちゃ教えてくれるんです。おかげさまで、大学まで図書館を利用しまくってました。
――素晴らしい学校ですね。
ほんとそう思います。あと読みたい本を申請すると大抵は(学校の図書室に)入れてくれるんです。だから読書に苦手意識がある子でも図書室にはなにかしら読めそうな本があるし、それでもなければ申請すると入れてくれるから、それが読書のきっかけになる。図書室には『キノの旅』とか『灼眼のシャナ』とかもありました。それで僕はECDさんの『失点・イン・ザ・パーク』を入れてもらったんですよ。
――アツいエピソード(笑)。
最初は夏目漱石の『こころ』とか魯迅の『阿Q正伝』みたいなベタな純文学を消費してたんです。けど読みたいものがなくなって。そこで『失点・イン・ザ・パーク』を申請しました。さらにすごいのは、うちの中学には読書科専門の先生がいて。この人がとんでもないレコメンド力を持ってるんですよ(笑)。生徒がリクエストを出すじゃないですか。そうすると、まずその先生が全部読むんです。それを踏まえて「これが好きならこれとこれも読んだほうがいい」とオススメしてくれる。僕が薦められたのは町田康さんの『告白』。最初「ぶ厚……」と思ったけど、読んだらめちゃ面白かった。で、ひととおり読み終えたあとに薦められたのが山本周五郎の『さぶ』。『さぶ』はライフタイムベストといっても差し支えない小説です。
――その先生、ヤバくないですか? 最高すぎるんですが。
しかもこういうことを僕だけじゃなくて、いろんな生徒にしてて。それが読書科の先生の仕事なんです。先生は(ラッパーの)かせきさいだぁを知ってたから、梶井基次郎の『檸檬』も薦めてくれたり。そこまでやってくれると、あとはもうこっちで勝手に探せるようになってるんですよね。自分で自分が欲しいものを自発的に探せる段階に入った人にもう何も教えることはないじゃないですか。僕は「自動で仕事が増える状態」と言ってるんですが。そのきっかけが『失点・イン・ザ・パーク』でした。
――『トーフビーツの難聴日記』にはたびたびECDさんのお名前が出てきますね。
めっちゃ好きなんですよ。ていうか僕は小西康陽さんが好きで、小西さんがECDさんをめっちゃ好きだから、その影響を受けてるんだと思います。『ECDIARY』も大好きだし。そういう意味では小西さんの日記もめっちゃ面白い。二人の日記を踏まえて、書いた歌詞を読むとさらに面白くなる。「こういう人がこんな歌詞を書くのか」みたいな。自分にとって作詞の指標になってますね。
内容は違えど、あの二人は似てると思う。ヴァースを埋めるためだけにおしゃれな言葉を書くんじゃなくて、何かを伝えるための言葉を書いているというか。例えば2曲作らなきゃいけない時、(無意味な)おしゃれな言葉を適当に並べて違うことを言うんじゃなくて、繰り返しでも言いから同じことを言う。二人ともそういうところがある。自分だけが狙ってる的に一直線に進んでる感じ。僕もそうありたいとずっと昔から思ってますね。
開拓者精神に満ちていたニュータウン
――この連載(ラッパーたちの読書メソッド)はそもそも、「活字離れした若い世代に向けて何かできないか」が出発点なんです。
1日10分だけでも本を読む時間を作ると変わると思いますよ。自分のペースでいいから続けると、気づくと習慣化してる。
――「1日10分。自分のペースで。毎日続ける」。読書パンチラインですね(笑)。
自分が読みたい本ってのも重要ですね。背伸びしなくていい。
――「自動で仕事が増える状態」になるまではネットにコンシェルジュしてもらえばいいですしね。そこで自分に合わない作品もわかりそうだし。tofubeatsさんは現在もかなり読書される感じですか?
はい。前作「RUN」は『ニュータウンの社会史』を読んで作りましたし。自分が神戸のニュータウン出身だから大学で調べたり、曲のテーマにもよくしてたんですね。だから基礎知識はあったんです。歴史とか、イギリスの田園都市をモチーフにしたとか。でもこの本はそれまでにない入植者の視点から書かれてて。
今でこそニュータウンなんて当たり前だけど、つくられた当時は野っ原だったわけで。そこに街をつくって、例えば病院がないからみんなでお金を出し合って建てたり。個人的にグッときたのは「多摩交通問題実力突破委員会」って話。「RUN」はここらへんがテーマになってる。
――「多摩交通問題実力突破委員会」……。ニュータウンに似つかわしくない物々しい雰囲気が漂ってますね。
1980年代くらいの話ですね。ニュータウンができたばかりの頃、東京の多摩には電車もバスも通ってなかったんです。しかも最寄りの駅は超遠い。多摩に団地を買ったはいいものの、めちゃくちゃ不便。だからみんなでお金を出し合って車を買って、駅からニュータウンまでの定期便を運行したっていう話なんです。
これって今の姿からは想像もできないエピソードですよね。僕は当時、ニュータウンに住もうと思った人たちのエネルギーに感動してしまったんですよ。安定を求めて来たわけではなく、どっちかというと開拓者精神に満ちてたんだって。しかもこの日本で。他にも入植者と地元民の軋轢とかいろんなエピソードがあって。この本を読んで自分がキリンジ的なニュータウン観に染まりすぎてたなって思いました。
――僕も「すでにニュータウンがあった」世代で、一億総中流社会が幻想ではなかった90年代に10代を過ごしました。だからこういう話はものすごく新鮮です。
ほんと、想像つかないですよね。うちの実家も僕が生まれる1年前くらいに買ったらしいんですよ。当時の写真を見せてもらったんですけど、なんっもないんですよ。うちのマンションと系列のマンションが4棟くらい建ってて、駅前にちっちゃいショッピングモールがある程度。あと大学がポンポンとあって、それ以外は本当の更地。「えっぐ、ようここ住んだな」って思いました(笑)。今は結構いい感じに開発されてるんですけど、当時「ここに家を買おう」と思った両親はすごいなと思ったんですよね。
――神戸ってハイソなイメージがあったんですけど、神戸薔薇尻さんのドキュメンタリー映画「寛解の連続」にもよく団地が出てきてたのが意外だったんですよね。
僕は神戸薔薇尻さんの下の世代にあたるDJ YOKOIさんとよもやパイパンさんたちに中3とか高1くらいの頃に可愛がってもらってました。でも僕自身が徐々にJ-POPやクラブミュージックに傾倒しはじめたこともあって、神戸のローカルなヒップホップシーンから離れてMaltine Recordsの人たちと頻繁に付き合うようになったんです。
ちなみに僕の地元は神戸市の住宅供給公社が建てたマンション。神戸にもいろんなエリアがあるんですよ。そういえばモダンチョキチョキズのブレーンなどもされていたライターの安田謙一さんも神戸出身で、僕の『トーフビーツの難聴日記』の編集担当の和久田さんは、安田さんの著書『神戸、書いてどうなるのか』も編集した人なんです。そんなこんなで僕自身もどんどんインディー系の方々とも近くなっていきました。それに僕はイルリメさんの大ファンなんで。
――イルリメさんも神戸ですか?
大阪なんですけど、関西人にとって京阪神(京都/大阪/神戸)は電車で移動できる認識なんです。この感覚は関東の人にはわかりにくいかも(笑)。だから横のつながりがかなりある。僕自身、一番よく出させてくれたクラブは京都のMETROですし。何度ライブやDJをさせてもらったことか。めちゃくちゃお世話になってます。あんな老舗クラブはもう日本には少ないと思いますよ。しかも音が良くてデカイ。雰囲気も最高です。
「思考の矢印」が見える本
――最近はどんな本を読まれているんですか?
若林恵さんの『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』ですね。僕が帯を書いてます(笑)。
――若林さんの『週刊だえん問答』は知人に教えてもらって最近読み始めました。
若林さんは元「WIRED」の編集長で、現在は黒鳥社という会社を立ち上げて活動されてます。僕は若林さんの文章が大好きなんです。読んでいると元気が出る。「WIRED」というとテックっぽいイメージがあるけど、若林さんはゴリゴリ人文系の人なんですよ。平凡社から出てる「月刊太陽」の編集部にいらして。僕は「WIRED」でお声がけいただいて、いろんな記事を書かせてもらいました。人文学って世の中からは余暇的なものと思われてるけど、僕はそれを考えることには意味があると思うんですよ。若林さんのエッセイを読むとそう思えるんですよね。
――確かに現代の潮流としては、いわゆる人文学のような知性の追求ではなく、もっと実用性の高い、すぐに使えるハウトゥみたいなものが求められがちですよね。
社会のイシューについて自分が考える意味があるのかって話がありますよね。そこにミュージシャンが介入すべきなのか、みたいな。介入するかはどうかはともかく、考えることは悪いことじゃないと若林さんの文章は思わせてくれる。「こんなふうに考えてる人がいるんだ」「悩んでる人がいるんだ」と思えることに意味があると思うんですよ。
――ちなみに『さよなら未来』ではどんなトピックを取り上げてるんですか?
「WIRED」の巻頭言なんです。だから特集内容に絡めて、時々で話題になったこと――サブスク、K-POP、福島、テック……などなどに話題がスライドしていく。でも突然、イヴァン・イリイチが引用されたり、ホロコーストの話題が出てきたり。僕のエッセイを読んだ後輩ミュージシャンのin the blue shirtって子が「日記とは何かが起きて、そこから何を考えるのか。その思考の矢印が面白いんや」ということを言ってて。僕からすると、若林さんのエッセイは思考の矢印の向く方向が面白いんですよね。「この人はこれを見てこう考えるんや」みたいな。
――すごく個人的なことなんですが、僕はインタビュー記事を書くことが多いんですよ。逆にレビューやエッセイのような、自分の意見を書くのが苦手で。どんどん自分を消す書き方をしてしまうんです。それがライターとしてのコンプレックスで。でも今のお話を聞いて「自分の素直な考えを書くことが重要なんだな」と思えました。最初からパンチラインを狙いすぎてたというか(笑)。
でもほんとそうっすよ(笑)。今回『トーフビーツの難聴日記』を書いてて「これは意味がない文章かもしれない。ただ自分の矢印が残ってれば、誰かにとっては面白いんだろう」って。in the blue shirtの言葉を聞いたのは日記を書いてる最中だったので、以降は意識的に矢印を消さないようにしました。
国吉康雄からのインスパイア
――今日の取材、めっちゃ面白いです。
小説が一冊もないんですけど(笑)。次に紹介するのは国吉康雄の展覧会の図録です。
――国吉康雄は『トーフビーツの難聴日記』にも出てきてましたね。今作にも収録されている「SOMEBODY TORE MY P」の元ネタ。
そうです。美術館で偶然、絵に目が留まって。タイトルを見たら「誰かが私のポスターを破った」と書いてあって「めっちゃかっこいい。パクろう」と(笑)。国吉康雄はそれまで何も知りませんでした。でも曲を作りながら「絵のことを何も知らんのもなあ」と思い、評伝を何冊か読んだんです。そしたら生い立ちもめっちゃ面白くて。この人は岡山生まれなんですけど、10代で入植者としてアメリカに行ってるんです。向こうで絵を描き始め、美術学校に行き、評価され、アートスクールで先生までした。
――アメリカに帰化したんですか?
それが当時の法律では難しかったようで、日本国籍のまま亡くなっています。実は一度日本に帰国してるんです。その際は「アメリカで評価された日本人」として美術界で紹介されたらしいんですが、あまり居心地の良いものではなかったようです。
――見た目は日本人だけど、中身は完全にアメリカ人だったんですね。
そうそう。同じ時期だと日本で有名になってフランスで活躍した藤田嗣治のような人もいますけど、国吉はアメリカでゼロからキャリアを積んでますからね。日本に失望してアメリカに帰って、その後第2次世界大戦が起こるんですけど、国吉はアメリカ側の立場に立ち、戦争ポスターなどを描くことでアメリカへの忠誠を表現しました。僕が衝撃を受けた「誰かが私のポスターを破った」はそれくらいの時期に描かれています。国吉のバックグラウンドを知って、タイトルの印象もさらに深まりましたね。ちなみに1940年代の絵はどれもかっこいいです。
――アートにも興味があるんですね。
全然詳しくないですけど(笑)。美術館に行ったそもそものきっかけは、椹木野衣さんが書いた山下菊二の「あけぼの村物語」に関する文章を読んだから。「あけぼの村物語」もヤバい絵なんですよ。それが東京都国立近代美術館に展示されてるのが面白いなと思って見に行ったんです。そしたらすぐそばに「誰かが私のポスターを破った」が展示されてました。そのへんの流れも『トーフビーツの難聴日記』で詳しく書きました。
考えるために必要な経済学
――経済の本も読むんですか?
そうですね。この長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』は経済学部で学ぶことをわかりやすくまとめてくれた的な本です(笑)。「結局ケインズとアダム・スミスってなんやねん」とか「銀行の役割って?」とかを超シンプルに書いてくれてる。
――僕も「資本主義ってどこまでいくんだろう?」っていう興味があるんです。このシステムの中では常に前年度よりも利益を上げることが求められる。いまそれがどんどん加速していて「じゃあ行き着く先はどこなのか?」みたいな。
その答えが単純でないことは理解してるけど、考えるためには経済学を知る必要があるし、僕自身も興味がある。だから最近はこういう本ばかり読んでしまいます。いまロシアとウクライナで起こってる戦争もこういった本から見えてくることがある。
――情報伝達が発展したことで現代社会は多様化して細分化してると思います。細分化しすぎた結果、共通言語が失われ、分断して部族化して、軋轢が生まれる。でもtofubeatsさんのようにいろんなことを知ってる人、いろんなことに興味がある人は部族間のハブになれる。巨視的な言語がないなら、いろんなことを知ってる人が強いと思います。
僕は経済学のプロになる気は毛頭ないけど、知らないより知ってたほうが面白い確率が高い、みたいな感覚ですね。講談社のブルーバックスがめっちゃ好きなんですよ。よくわらないことに対していきなり読んでみる、みたいな。そういう感覚で最近面白かったのは電子書籍で買った『専門知は、もういらないのか――無知礼賛と民主主義』。みすず書房、ついつい買いがち(笑)。
――「無知礼賛と民主主義」ってサブタイトルすごいですね。
素人が5分で調べたことをSNSに投稿するのと、ずーっとひとつのことを研究している専門家のアウトプットは等価じゃないよねっていう。ただ実際アメリカではすでに無知が礼賛されてる、みたいなことが書かれてるんですよ。自分も趣味でいろんな本を読んで浅い知識をたくさんインプットしてるけど、同時にその危険性も認識できたっていう。
――今の世の中は超多面的だから、何をするにしても両義的になっちゃいますよね。無知だとそれすら気付けない。
ほんとそう思います。両義的という面でいうと、ちょっと話は逸れますけど僕の作品って毎回装丁がめっちゃ豪華なんですよ。それはいつも「これが最後のアルバムになるかもしれない」と思ってるから。もちろん作ってる時は「自分は良いものを作ってる」と思って、納得できるまで作業します。だけど売れるかどうかはまったく別の話。運やトレンドも関係してくる。実際僕自身が大好きなアーティストがみんな売れてるわけではないし。むしろ「なんでこんなんが売れてんねん」と感じることのほうが多い。なので僕は創作と売上を切り離して考えています。ただ世の中とコミュニケーションするために努力はしてる。そこは諦めてないですね。