- 『中上健次 路地のビジョン』 渡邊英理著 岩波新書 1056円
- 『身体の美学入門』 伊藤亜紗著 中公新書 1100円
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(1)は、中上健次が描いた路地を紀州の土着性に閉じ込めることなく、フェミニズム、クィア性、植民地主義等の射程で現代的に描き直す果敢な書。著者の一分の隙もない論理と、あり余るほどの知見を詰め込んだ凝集した文体が読ませる。実に様々なワードが登場する。遍在性、可傷性、偶有性、ゾミア(脱国家)、コモンズ(共有地)。どれも資本主義の権力に抗する現代的な言葉だが、そう捉えられる中上文学が新鮮だ。とくに路地の家族観は近代家族を攪乱(かくらん)すると指摘されハッとした。路地では父母でなく「男の/女の親」と呼び「路地の子は皆の子」と生殖を脱中心化する。それは国家による労働力の再生産という呪縛からの脱出だ。また被差別部落を帝国の植民地主義と重ねる中上の歴史意識も初めて知り、中上文学がいかに世界文学の射程を備えていたか改めて気付かされた。
(2)は、感性という普遍化できないものの復権を目指す。例えば肥満嫌悪など、美醜の感覚も社会や歴史に規定される。西洋では、山は長らく神の完全性(球体の地球)を否定する瘤(こぶ)などと蔑(さげす)まれてきたが、グランド・ツアー(貴族の子弟による長期旅行)をきっかけに山の崇高さを理解するようになる。感性の「規範性」を破壊するのは、個人がただ「うっとり」すること。そのとき人は対象の魅力にひれ伏し、受け取るしかない。この「逸脱的感性の受動性」をあらためて見出(みいだ)すことが、人間の面白さであり愛でもあると説く。力強い。=朝日新聞2026年8月1日掲載