映画「時には懺悔を」主演・西島秀俊さん 「役を通して僕自身、深く心が震えました」
――本作は「障がいがある子どもと家族」というデリケートなテーマを扱っていますが、完成した作品をご覧になって、今どのような感情を抱かれていますか。
非常に深い感銘を受けましたし、同時にほっとしています。昨年、作品に協力してくださったスペシャルニーズ(障がいや病気などにより、特別な配慮や支援を必要とする人)のご家族と一緒に鑑賞する初号試写の機会に恵まれたのですが、上映後、あるお母さんが涙を流しながら「ここにある感情が、私たちの本当の感情です」とおっしゃってくださった。そのことが何よりも深く、僕の胸に残っています。
これまでの試写会では、どうしても自分の演技の細かい部分が気になっていましたが、今回はそんな意識は完全に消えていて、ただ一つの物語として、激しく心を揺さぶられました。本作は決して、安易なきれいごとや感動物語のようには描かれていません。時に驚くような過酷な現実や言葉も飛び交います。でも、それこそが生活の地続きにある「真実」なのだと思います。
同時に、本作は、「自分が支えているつもりが、実はその小さな命にこそ支えられていた」という実感や、一つの無垢な光によって周囲の閉ざされた大人たちが救われ、世界への希望を緩やかに取り戻していく姿を描いています。そして、そこに描かれた過酷なことも希望も、当事者であるご家族から、これが本当の実感だと言っていただけたことで、安堵を覚えました。
――最初に脚本を読まれた際、どのように感じましたか?
役者を続けていると、「これは断るという選択肢はない」と直感する脚本に出会うことがあるのですが、本作がまさにそれでした。どのような役割であっても、この人間ドラマの一部になりたいと、読んだ瞬間に強く参加を希望しました。
ともすると、最近僕は、断片的な情報だけで「この人はこういう人間だろう」と一面的に決めつけてしまうことがあります。ですが今回の脚本は、一見すると悪人に見える人間に宿る純粋さなど、人間の多面性というものが、すべてのキャラクターにおいて描かれている。人間の複雑さを描き切ろうとする誠実さに、強く惹かれました。
――演じた探偵・佐竹は、冒頭から深い苦悩を背負って登場します。この人物の内面をどのように分析し、アプローチされたのでしょうか。
佐竹は過去に取り返しのつかない過ちを犯し、世界に背を向けて生きている男です。生きてはいるけれど、生きようとはしていない。探偵という仕事を通して世の中の汚い部分をずっと見続けた結果、衣服や食事、他者との関わりに対しても徹底して無関心で、ただやり過ごしているに過ぎない。
また、リハーサルで中島監督から「ちょっと声のトーンが低くて、強い気がします」という演出を受けました。そこから、この佐竹という男は「自分の言葉を他者に伝える気もない人」なのだろうと考え、彼の頑なな孤独と弱さ、そしてそれでも世界への微かな期待を捨てきれない、心の奥底に眠る柔らかいものを表現しようと試みました。
――活字として描かれていた心理描写を、西島さんの表情や佇まいといった「肉体」を通して映像化する上で、あえて演じすぎないようにした部分や、逆に原作以上に強く押し出した感情はありますか?
今作での僕の役は「今、目の前で起きていることをじっと見つめる」という人物でした。監督からも、そういう方向性の言葉をかけられた記憶があります。相手が言っていることに耳を澄ませて、今ここで起きている事をそのまま目撃する。とにかく、そのことに集中しようと決めて現場に臨んでいました。
なので、僕自身は自分の演技において「ここでこう反応しよう」ということはあまり考えず、ただ目の前で起きていることを見て、聞くことに集中しました。それでも、何か自然と反応するものはあるだろうから、その時の心のままに反応していこうと思っていました。その結果として、表れた表情というものは、役を通して僕自身が感じたものも出ているのだろうと思います。
――作中では、他者の親子関係を客観的に見つめることで、佐竹自身の心境にも変化が訪れますね。
宮藤官九郎さん演じる明野が、自覚のないままにとても美しく崇高な行為を重ねていきます。その光によって、絶望の淵に立つ人々が静かに救われていくという物語でもあるのですが、ありがたいことに時系列の順番で撮影が行われたこともあり、心を閉ざして何も感じなくなっていたはずの佐竹の感情が、次第に開いていくような瞬間が何度もありました。
――本作にはスペシャルニーズの俳優たちも出演していますが、撮影現場で彼らと時間を共にする中で、自然と湧き上がってきた感情やハッとさせられた瞬間はありましたか?
クランクイン前に、スペシャルニーズの出演者のご家族の皆さんとお会いして、様々なお話をしました。お会いしたご家族の皆さんは驚くほどエネルギッシュで笑顔に満ち溢れていました。
そしてご家族から「一人の俳優として接してください」という言葉をいただきました。医療ケアの態勢が整っているとはいえ、彼らにとっては現場へ赴くこと自体が大きな挑戦です。その重みを理解した上で、同じ俳優として対等に向き合う必要がありました。
実際にカメラの前に立った彼らの存在感は、圧倒的でした。特に、明野に育てられている新役のしんすけ君は、本番の合図がかかった瞬間に現場の張り詰めた集中と高揚を敏感に察知して、本当に素晴らしい笑顔をみせるんです。あの笑顔の美しさは言葉になりません。心を閉ざす役を演じながら、僕自身もそういう瞬間に心を揺さぶられました。
――映画の撮影が終了した今もデイケア施設へ足を運ばれているとうかがいました。
本作で「スペシャルニーズスーパーバイザー」として携わってくださった理学療法士の安田(一貴)さんのデイケア施設に、今も遊びにうかがっています。この作品が結んでくれた大切な関係性が、今も途切れることなく僕の中に生き続けている。そのことが何よりもうれしいことだと感じています。
――初共演となった中島監督とのクリエイションはいかがでしたか。
リハーサルの際、監督が「映画だからといって、現実の境界線を簡単に踏み越えるのはやめましょう」とおっしゃったことが非常に印象深く残っています。例えば、静かな住宅街で激しく感情をぶつけ合うシーンがあるのですが、映画のドラマチックな演出に身を任せて大声を出すのは簡単ですが、それは実際のリアリティから離れてしまいます。表現の都合で現実を都合よく飛び越えるのではなく、日常のリアルを理解した上で、どう演じるのか。このリアリズムへのこだわりが、作品に血の通った説得力を与えていると思います。
――佐竹の元上司を演じた役所広司さんとの共演シーンも見どころのひとつです。役所さんとは、映画『ニンゲン合格』以来となりますが、改めてどのような刺激を受けましたか。
役所さんは、何気ないシーンでも豊かなシーンにしてしまう、本当に大きさを感じる方です。とても自由に演じられつつ、台本を深く読み込んでおられると感じます。そのすごさに、毎回驚きと感動の連続でした。同じように苦しいものを見ていても、何か超越しているものを感じさせるというか。今回はとても苦しい役柄でしたが、役所さんと再び演技をご一緒できたことは、本当に嬉しく幸せな時間でした。
――作中では様々な親子の形が描かれています。以前、ドラマ「人間標本」(https://book.asahi.com/article/16194923)に出演された時も取材させていただきましたが、あの作品も親子を題材にした作品でした。西島さんが理想とする「親の在り方」はありますか。
作中にも現実にもいろいろな親子の形がありますし、家庭も同じものはひとつとしてないので、一概に理想を言うのは難しいです。ただ僕自身、自分の親からは大きな影響を受けています。我が家は、子どもに対して「いろいろな可能性に挑戦すること」を応援してくれる環境でした。そして何より「フェア(公平)であれ」ということ。それがどれほど難しいことであるかを折に触れて教えてくれたことは、僕の人生において大きな財産になっています。
――最後に、西島さんの「読書ライフ」についても聞かせください。
ジャンルを問わず、様々な作品を読みますが、最近は鴻巣友季子さんの『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』を契機に、柚木麻子さんの『BUTTER』や、王谷晶さんの『ババヤガの夜』、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』など、鴻巣さんの本の中で紹介されている作品を続けて読んでいます。
どれも面白いです。世の中の抑圧や現代社会が抱える特有の「生きづらさ」を鮮やかにあぶり出していて、今を生きる自分に強烈な問いを突きつけてくるようなシャープさがある作品だと思いました。
――そうした文学への親しみは、いつごろから?
小学生の頃、近所に、ご自宅を開放して個人で図書館のような活動をしてくださっていた方がいたんです。週末になると子どもたちが集まって、本に囲まれて自由に児童文学を読み、借りて帰るということをよくしていました。中学・高校時代になると、そこからSFやファンタジーへと関心が広がっていきました。当時は、そうした個人の取り組みや移動図書館といった動きが、地域の中に自然に存在していた時代だったのだと思います。